キスしたら、彼の本音がうるさい。

胸を締めつけるような“目が合う”瞬間

あのときの返事は、まだしていない。
直央くんの誘いのこと。
「どこか行かない?」って、あんなにやさしく言ってくれたのに。

でも、私の中ではもう、答えが決まっていた。
誰かに優しくされるのが、嬉しくないわけじゃない。

でも、それだけで心が動くほど、私は器用じゃない。
ふと気がつけば、探していたのは──別の誰かだった。

雑貨市の通りは、どこか懐かしい香りがしていた。

キャンドルの灯り、ほこりっぽい木の匂い、焼き菓子の甘さ。
それらが全部、冬の空気に溶けていく。

「月菜、あのニット帽かわいくない?」

玲奈が楽しそうに話しかけてくる。
私も頷いて、笑って、ちゃんと“今”を楽しんでるはずだった。

……なのに。

視界の端が、妙に引っかかった。
理由なんてなかった。
でも、何かに呼ばれたような気がして、私は自然とそちらを振り返った。

その瞬間、世界が止まった。

通りの向こう。
たくさんの人の中で、
ひとりだけ、時間の流れから切り離されたように立っていた人がいた。

──瑛翔。

目が合った。

彼も、私を見ていた。
まっすぐに、真剣に、どこか切なげに。

心臓が、跳ねた。

呼吸が浅くなって、胸の奥がぎゅっと締めつけられる。

どうして、こんなところで──
どうして、こんなふうに、目が合ってしまうの。

でも、目をそらせなかった。
そらしたくなかった。

私がずっと、会いたいと思っていた人。
伝わらなかった“好き”を、まだ胸に抱えたままの人。

その人が、今、目の前にいる。

気づけば、足が勝手に動いていた。
人混みの中を縫うように、彼に向かって歩いていく。
鼓動が速い。指先が冷たい。
でも不思議と、怖くなかった。

近づくほどに、彼の瞳の奥がよく見えた。
焦がれるような熱と、迷いと、それでも向き合おうとする誠実さ。

ああ──やっぱり、この人だったんだ。

私は、ずっとこの人の隣にいたかったんだ。


「……久しぶり」

彼の声が、空気を震わせて届く。
その音が、私の心の奥をまっすぐに撫でていくようだった。

「……うん。久しぶり」

声に出すまでに、少しだけ時間がかかった。
でもようやく、それを口にできた自分に、少しだけ救われた気がした。

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