二人で恋を始めませんか?
「どうぞ、入って」
「はい、失礼します」

会議室の中に茉莉花を促すと、優樹は廊下に面した窓のブラインドを上げる。
談笑しながら廊下を歩いて行く社員の姿が見え、茉莉花は感心した。

(これって部長の気遣いよね。女子社員と二人きりになる時は、いつもこうしてるのかな?)

そう思っていると、優樹は茉莉花から少し離れた席に着いた。
促されて茉莉花も椅子に座る。

「貴重な時間を割いてくれてありがとう。途中で何か気になることがあれば、気軽に聞いてほしい」

優樹はそう前置きしてから、資料に目を落とす。

「清水茉莉花さん。新卒で採用されて4年目。入社以降、今のマーケティング戦略部に所属していて、現在のポジションはアシスタント……で間違いないかな?」
「はい、間違いありません」
「だが業績を見る限り、既に君一人でクライアントとのやり取りもこなしているね。そろそろ次のステップに移ってはどうかな?」

え?と茉莉花は首をかしげる。

「次のステップ、というのは?」
「つまり、コンサルタントとしてのポジションに就くこと。クライアントとのファーストコンタクトから、抱えている問題点のヒアリング、それを分析して解決案を提示し、結果に結びつける。要するに1つの案件を全て君がやり遂げるんだ」
「そんな、私には無理です。今も、バディを組んでいる先輩がある程度軌道に乗せたところで、ようやく私に任せていただいてます。それを全部一人でやるなんて、自信がありません」

必死に否定すると、優樹はテーブルに両腕を載せてじっと茉莉花を見つめた。

「なぜ自信がない? 今君が担当している案件も、決して簡単なものじゃない。それをそつなくこなせる状態を客観的に見て、君には充分能力が備わっていると判断するが?」
「ですが私は入社後の基礎研修のあと、希望方針を聞かれてアシスタントや事務職を希望しました。つまりコンサルタントに必要な研修を受けていないのです」
「なるほど。ではこれから私が希望者を募って研修を行う。それを受けてみて、その上でもう一度考えてくれないか?」
「ええ!?」

茉莉花は驚いて思わず声を上げる。

「私の為に、部長が自ら研修してくださるのですか?」

恐れ多いし、何よりプレッシャーだった。

「君一人の為ではない。希望者を募ると言っただろう? それに研修を受けたからと言って、必ずコンサルタントとして独り立ちしなければ、とも思わなくていい。この先ずっとアシスタントや事務をするにしても、役に立つ内容だ。受けて損はないと思う」

まっすぐ真剣に、けれど穏やかな口調で言われて、茉莉花はなぜか心が落ち着くのを感じた。

男性と二人きりになれば途端に緊張するいつもの自分にとって、それは初めてのことだった。

(なんだろう、この不思議な感覚。この人の言葉がすっと心に入ってくる)

そう思いながら、茉莉花はゆっくりと頷く。

「はい、研修を受けさせていただきたいです。この先どんな業務に携わるとしても、必ず役に立てたいと思います」

優樹もしっかりと頷き返した。

「分かった、必ず有意義な研修にしよう。詳細は後日、希望者全員にお知らせする」
「はい、よろしくお願いします」
「ああ。でもよかった、最初に君を面談して。小澤課長の洞察力はさすがだな。おかげでこの先の方向性が見えてきた」

資料を揃えている優樹の口から小澤の名が出た途端に、茉莉花は、えっ!と頬を赤らめる。

「ん? どうかしたか?」
「いえ。あの、小澤課長はなんとおっしゃったのですか?」
「最初に面談するのは、清水さんがいいと。いずれこの部署の要となってくれるはずだからってね」
「そ、そうでしたか。課長がそんなことを……」

そんなふうに思ってくれていたなんて、と茉莉花はますます顔が火照ってくるのを感じてうつむいた。

「面談は以上だが、君からは何かある?」
「いえ、何も。ありがとうございました」
「こちらこそ。今後も何かあればいつでも声をかけてほしい。では戻ろうか」
「はい」

立ち上がり、椅子を元の位置に戻した時だった。

「そうだ。これ落とし物なんだけど、心当たりはある?」

そう言って差し出された紺色のあのメモ帳に、茉莉花はカチーンと完全に固まった。
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