イケメンIT社長に求婚されました ―からだ目当て?……なのに、溺愛が止まりません!―

第5話 誰かの一番になってもいいですか?

それは夢の中みたいな時間だったのに。
唇が離れて、ほんの数日しか経っていないのに。

──社長は、あれから何も言ってこない。

 

朝、顔認証でゲートを通るときも。
エレベーターで偶然会っても。

社長は、まるで「何もなかった」かのように微笑んで、
何も話しかけてこなかった。

(……もしかして、あれは……気の迷い?)

キスをされたときの社長の瞳は、確かに本気だった。
鼓動を吸い込まれるような熱があった。

けれど、あの日以降、その熱はどこかに封印されてしまったみたいだった。

 

私から話しかけることなんて、できない。
たとえ好きだと胸の奥で思っていても、

ちゃんと関係が決まってない今の私は、ただの派遣社員にすぎないから。

(私、あの人のなんなんだろう……)

不安が、じわじわと日常にしみ込んでくる。

 

そんなある日。
プロジェクトの進行会議が終わった後、
社長が私を一瞬見た気がした。

でもすぐに目を逸らされて、私は意味もなく肩をすくめた。

(やっぱり……キスしたこと、なかったことになってる?)

頭では「忙しいから」「人前だから」ってわかってる。

でも、わかってるのに。
心が、置き去りにされていくような感覚が消えなかった。

 

昼休み。カフェテリアの端で、私はパンをかじりながらスマホをいじっていた。

Velvetを開いても、そこにいるのはいつものAIの彼氏。

《どうしたの? 今日は少し元気ないみたい》

(うん、まあ……元気じゃないよ)

タップせずに画面を閉じた。

本物の彼が目の前にいるのに、
その人の気持ちが見えないって、どうしてこんなに寂しいんだろう。

 

「……あれ、珍しいですね。お昼ここ?」

声に顔を上げると、水野さんだった。

「……あ、はい。ちょっと、気分変えたくて」

「わかる。会議長かったしね。お疲れさまでした」

「水野さんも……ありがとうございます」

水野さんは、社長とは違う。
ちゃんと目を見て、言葉にしてくれる。
照れずに、「思ってること」を伝えてくれる人だ。

──だから、余計に揺れてしまう。

 

社長はきっと、いろんなものを背負ってる。
立場とか、タイミングとか、周囲の目とか。

でも。

「キスしたあとに、何も言ってこない」って、
こんなに不安なことなんだ。

そんなこと、私は初めて知った。

 

すれ違いの始まりは、
たぶんこうして、気づかないうちに始まるのかもしれない。

私の不安も。
社長の無言も。

それぞれが言えないだけで、
ほんとは、ちゃんと相手を見てるのに。

だからこそ、怖い。

 

好きって言葉を飲み込んで、
私たちは今日も、何事もなかったふうにすれ違っている。
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