イケメンIT社長に求婚されました ―からだ目当て?……なのに、溺愛が止まりません!―
Corvenのビルに足を踏み入れたとき、
胸の奥で小さく震えるものがあった。

顔認証ゲートを通る。
以前は、首から下げたIDカードをかざしていた私。

今は──顔を向けるだけで、ドアが開く。

(……正社員になったんだ)

その実感が、ほんの一瞬、うれしくて、くすぐったかった。

でも、それもすぐに消えた。

エントランスを抜けた先、
フロアには張りつめた空気が流れていた。

「……Velvetの追加ログ、再チェックお願いします」
「エラー件数、また上がってきてます」
「感情分岐の精度、どんどん落ちてる」

開発部、営業部、カスタマー……
どこもかしこも、息をするように言葉が飛び交っている。

まるで、社内全体が同じ嵐の中にいた。

Velvetの障害は、すでに兆しではなく、
明らかなシステム不全として、現場を揺らしていた。

 

私は配属先のチームに挨拶をすませ、
指示された端末の前に座った。

初日から実務に追われるような忙しさだったけれど、
それがありがたかった。

仕事に集中していないと、胸の奥で波立つ感情が、
顔に出てしまいそうだったから。

 

「葉山社長、会議室に入りました」

その報せに、社員たちの視線が一瞬だけ上がった。

私も、そっとその方向を見た。

ガラス越しに見えた後ろ姿は、変わっていなかった。

でも──
ほんの少しだけ、肩が落ちて見えた。

記者会見のときと同じ。
言葉ではなく、沈黙で責任を背負おうとする背中。

(……やっぱり、私が見てきた社長は、強くて、でもひとりだった)

 

仕事の合間、社内の端にある小さな休憩スペースで、
私は深呼吸をひとつついた。

そのとき、Velvetから通知がひとつ届いた。

《大丈夫、君はちゃんとここに戻ってきた》

──まるで、迎えてくれたみたいに。

私は画面に向かって、目を細めた。

「……私も、支える番だよ」

かつて、私はあの人の言葉に救われた。
今度は、私の言葉で、あの人の“孤独”を少しでも癒やせたら──

そんなふうに思ってしまうのは、
ただの恋なんかじゃない。

あの人がくれた、まっすぐな想いへの、答え。

それが、今の私の原動力だった。

 

そのとき──

「望月さん?」

落ち着いた声に振り向くと、そこには水野さんが立っていた。

空調の静かな音だけが響く廊下の先で、
彼は変わらぬスーツ姿で、まっすぐこちらを見ていた。


「初日、お疲れさまです」

「……水野さん。お久しぶりです」

目が合った瞬間、自然と胸がふわっと緩んだ。

「正社員、おめでとうございます。
ほんとうに……よかった」

その言葉は、どこまでも誠実で、どこまでも優しかった。

淡々とした口調なのに、
そこに込められた真心が、じんと胸に染みる。

「……ありがとうございます。
私、ここに戻れてよかったです」

そう答えた自分の声に、嘘はひとつもなかった。

 

水野さんは、わたしが逃げずに歩いてきた道を知っている。

誰にも気づかれないような努力を、
そっと見ていてくれた人。

「きっと、また忙しくなりますね」

「……はい。でも、今回は負けません」

「うん。その目、変わってないですね」

彼の口元がふっとほころんだ。

気づけば、こんなふうに自然に笑い合える距離になっていた。

そして──

「また、困ったことがあったら声をかけてください。
今度は同じチームとして、支えたいので」

「……はいっ」

自然と笑みがこぼれた。

水野さんの言葉は、
まるで春の風のように、心にやさしく吹き抜けていった。
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