酔って寝てたら保護されましたが、これが恋の始まりだなんて聞いてません〜警察官の甘やかな独占欲に包まれて〜
翌日から数日間、奈緒はオフィスの自席でほとんど言葉を発さなかった。
キーボードを打つ音だけが、早朝の静かな編集部に響いている。

頭の中では、交番での取材内容が何度も繰り返されていた。
瀬戸警察官の落ち着いた語り口、川合警察官のフランクな補足、掲示板に貼られた啓発ポスター、署内に積まれたチラシの山……
細部まで思い出しながら、奈緒は自分の言葉で、丁寧に文章を組み立てていく。

「おい水原、見出し、もう一段インパクト出せるんじゃないか?」

夕方、背後から声をかけられた。編集デスクの狩野だった。
記事をチェックしていた彼が、プリントアウトした紙を手に立っている。

「例えば“自転車の陰に潜む危機”とか、“歩行者狙う凶暴な速度”とか。読者がドキッとする一言がほしい」

奈緒はうなずき、すぐに自分の原稿を開いてメモを加える。

「あと、警察の啓発活動の記述がちょっと一般的すぎる。“チラシ配布や声がけ”だけじゃ伝わらない。
 誰が、どういう言葉で市民に声をかけてるのか、具体例を入れて。読者は“顔が見える記事”を読みたいからな」

「……はい、わかりました」
奈緒はノートを取り出し、メモを取りながら小さく答えた。

交番での瀬戸の声がよみがえる。
“お姉さん、ここで寝ないで。起きてください。”
あの一言で、酔った自分を現実に引き戻してくれた。

その声かけも、誰かを守るための“仕事”なのだと、今ならわかる。

夜、自宅のデスクに向かいながら、奈緒は改めて感じていた。
「事件は起きてからじゃ遅い。防ぐために、警察は日常を見てる」
今回の取材で初めて、そういう視点を強く意識した。

記者として、目の前の出来事を伝えるだけじゃ足りない。
“地域の安全に役立つ記事を書く”という意志が、奈緒の中で確かに根を張り始めていた。

数日後──

「水原、おまえ、やればできるじゃん」

狩野が笑って言った。
手元には奈緒が仕上げた最終稿。「防犯の“最前線”、見えていますか?」という見出しの下に、瀬戸や川合の姿が浮かぶような描写が並ぶ。

市民に寄り添いながら、トラブルを未然に防ぐ日々。
ちょっとした注意が命を守ることもある。
そんな“地味だけど、大事なこと”を、奈緒はこの原稿にすべて込めた。

「ありがとうございます。でも……もっといい記事、書けるようになりたいです」

狩野は口元をゆるめて「その意気だ」とうなずくと、記事に校了印を押した。

パソコンのモニターには、今日の天気と配信スケジュールが映っている。
小さな町の一角、ひとつの交番に取材しただけ。
でも、自分の書いた文字が、誰かの行動を変えるかもしれない。

それが記者という仕事だと、奈緒は改めて思った。

そして──ほんの少しだけ、心の片隅で考える。
「この原稿、あのお巡りさん、読んでくれるだろうか」

小さく息をついて、奈緒は原稿フォルダをそっと閉じた。
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