荒廃した世界で、君と非道を歩む
 真正面から大量の海水が飛んでくる。「わっぷ!」というなんとも情けない声を上げながら尻餅を着くと、先程小馬鹿にした志筑のように全身が濡れた。口の中に入った海水がしょっぱくて気持ち悪い。頭を降って水気を飛ばし立ち上がった志筑を見上げる。

「不意打ち成功ー」

 なんとも感情の篭っていない棒読みの言葉だったが、その表情は楽しげだった。志筑が口角を上げて笑いながら濡れた髪を掻き上げる。すると志筑の琥珀色の切れ長の目がよく見えた。その仕草を見た時に心臓がドクンと強く脈打つ。
 なんだ、この感覚は。気持ち悪いのに、不快なはずなのに何処か心地良い。
 矛盾した感情が胸の奥から溢れてくる。どうすればこの感情を発散できるのか分からず、ただただ気持ち悪さが胸の奥で渦巻いた。
 ぼんやりとした感情を覚えながら志筑を見上げていると、志筑が手を差し伸べる。蘭はその手をしっかりと掴み、海の中に立ち上がった。

「餓鬼だね」
「お前には言われたかねえよ」
「それもそうだ」

 二人で見つめ合い、そして互いに耐えきれずに笑い出す。
 風が濡れた身体を通り過ぎ、微かに寒さを感じた。着替えなんて無いのに海に来て、ずぶ濡れになってしまったことに今更ながら気が付く。けれどそんなことはどうでもいい。適当に歩いていればそのうち乾くだろう。
 水も滴る良い男とはこういうことなのだろうか。理想の人というだけあって志筑がいつにも増して———。って、何考えているんだ。

「よそ見すんなよ」

 志筑の声にはっと我に返る。慌てて志筑の方を見れば、口角を上げ不敵に笑う彼がいた。目止めが合い、つられて蘭もにやりと笑ってみせる。
 その場にしゃがみ込んだ蘭は、海水に両手を浸けて志筑を見上げながら言う。

「それじゃあ、行くよ」
「かかってこいよ」

 濡れるからなんだ、そんなことは関係ない。今あるこの時間を目一杯楽しんでやる。
 小さな手で掬った海水は冷たく、指先にできたささくれに滲みた。けれど痛みよりも楽しさが身体を支配して、掬った水をそのまま思いっ切り志筑に掛けた。
 避けもせずそのまま全身で受け止める志筑に笑いが止まらない。腹を抱えて笑えば不貞腐れた声が上から降ってくる。

「お前はそうやってすぐ笑うからな。笑えねぇように口ん中海水だらけにしてやる」
「嫌だー! 絶対そんなことされないもんねー!」

 べーっと舌を出して抵抗すれば志筑の額に血管が浮かび上がる。短気な志筑を挑発すればすぐにブチ切れることを分かっているからこそ、揶揄ったり煽ったりすることがやめられない。
 嗚呼、幸せだ。理想の人と二人きりでこの空間を占領している、その背徳感が心地良い。
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