荒廃した世界で、君と非道を歩む
 何故か得意げに笑う新汰を横目に、志筑は老婆に会釈する。穏やかな微笑みを浮かべている老婆だが、その視線は鋭く志筑野甫運賞を見透かしているようだった。
 なんとも居た堪れなさを感じ、蘭の手首を掴んで早足にその場を去った。
 連れられるまま入った部屋は温かみのある畳張りの部屋である。部屋へと入るや否や、蘭は崩れるように畳の上に寝転がった。

「おいこら、行儀悪ぃぞ」
「疲れとるんやろ、そっとしといたり。しばらく志筑も休んどいたらどうや? えらい長い間移動してたみたいやしな」

 扉の前に立つ新汰は、出会ったばかりだというのに警戒心のない笑顔を志筑に向けた。
 目の前にいる男が先程話していた殺人鬼であることも知らずに、新汰は曇り一つない言葉を投げる。彼の発する言葉の一つ一つが胸の奥に突き刺さり、志筑は感じたことのない蟠りに表情を歪めた。
 そんな志筑のことなど知ってか知らずか、ひらひらと手を振りながら新汰は部屋を去っていく。

「夕飯の時間なったらまた来るわー」

 ぱたりと閉じられた扉をしばらく見つめ、志筑も部屋の中へと入った。
 畳の上にはちゃぶ台が置かれおり、いかにも日本家屋らしい和室だった。ちゃぶ台の上にはお菓子が置かれている。自由に食べていいということだろう。
 むにゃむにゃと寝息を立てながら寝る蘭の脇に、部屋の端に畳まれている布団を敷く。小さく丸まって猫のように眠る彼女の身体を抱えると、布団の上に寝かせた。
 布団の傍に座って蘭の無防備な寝顔を見ていると、志筑の身体にどっと疲れが襲った。
 誰も見ていないことをいいことに腕を上に伸ばしてうんと伸びをする。身体中から力が抜けて、少しだけ気分が晴れる。

「罪悪感ってのは、こういうのを言うんだな」

 ぽつりとそんな嘆きが零れる。自分でもそんな嘆きが口から零れるとは思わず、誤魔化すようにちゃぶ台の上のお菓子を手に取る。
 風を開けると醤油の煽りが食欲をそそるせんべいが入っていた。特別好きというわけではないし、食べたことがあるのかどうかすら分からないが、空腹を訴える腹の音に抗うことはできない。
 小さく一口齧ると、パリッという軽快な音と共に口の中に醤油の風味が広がる。空腹の状態で食べるお菓子は、こういう塩辛いものの方が胃に最適だった。

「ん……」
「起こしたか」
「何食べてるのー」
「せんべい」
 
 目を覚まして眠気眼で見上げる蘭にせんべいを差し出すと、ゆっくりと上げた手で受け取った。
 食べるのかと思いきやせんべいを手に持ったまま、再び布団に顔を伏せてしまう。まだ眠いらしいようで、微かに寝息を立て出した。

「呑気なもんだな」

 眠る蘭の顔に掛かった髪を指先でどかすと、目を閉じた人形のような顔がそこにはあった。異常なまでに痩せ細り、青白い顔はこうして眠っていると人間は見えない。
 このまだ若い少女が明日に希望を持てず、死に場所を探しているなど、これ以上に悲しい話はあるのだろうか。

「殺せ、か……。拒否権はねぇよな……」

 始めから志筑ならば殺してくれると分かっていて、蘭は「殺してほしい」などと言ったのだろう。
 志筑に蘭を殺さないという選択肢は与えられておらず、死に場所を探す旅を続けるか今この場で殺すかという選択肢しか無いのだった。

 明日に希望を持てずにいるのは、蘭も志筑も同じなのだった。
< 35 / 105 >

この作品をシェア

pagetop