その天才外科医は甘すぎる~契約結婚のはずが溺愛されています
 『なんか一晩寝て夢みたいでしたけど、このマグカップがあると現実なんだなあって』

 そのマグカップを、彼女が両手で包んでいる朝の光景。

 (……まさか、あのベタなマグカップを、あんなに気に入るとは)

 ささやかな旅の記憶が、何気ない朝に溶け込んでいた。コーヒーの香りと、彼女の笑顔と、ほんの少しだけ温かい時間。
 無意識に口元がゆるんだ気がした、そのとき――

 「柊木先生、今ちょっと、にやけてませんでした?」

 不意に声をかけられて、現実に戻る。

 カルテを確認していた手を止めると、一人の看護師がにやにやとこちらを見ている。

 「……してない」

 即座に返したが、どうやら間が悪かったらしい。

 「えっ、まじで!?あの冷徹天才外科医が!?顔ゆるんでた!?誰か見た!?今の撮っておいてよ~~~!」

 「くだらないこと言ってないで、午後の術式の確認でもしたらどうですか」
 「は~~い。でも絶対ゆるんでました!」
 
 図星すぎて、視線だけで黙らせる。

 「でも最近、雰囲気変わったわよね、柊木先生」

 そう言って会話に割り込んだのは、『島津』の名札を付けたベテランの看護師長だった。振り向けばじっとこちらを見ている。

 「角が取れたっていうか、いい顔になったわよ」
 「…そうですか?」
 「昔のあなたは、触れたら切れそうな感じだったもの。今はちゃんと人間に見えるわ」

 今はちゃんとした人間って、随分な言い草だと思う。前はどう見えていたのか聞くのも怖い。

 「別に何も変わってませんよ」
 「そう?ならそういうことにしとくわ」

 くすりと笑って去っていく師長の背中を見送りながら、真澄は軽く息をついた。

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