その天才外科医は甘すぎる~契約結婚のはずが溺愛されています
 「必要な栄養素は鉄分、ビタミンBとビタミン12群、カルシウム。それに『柊木さん』と呼ばないようにと今朝も言ったはずだ。忘れたのなら短期記憶に問題が――」

 「もういいです!それ以上はホラーですからっ!」

 まばたきすら忘れるほど平然と言い連ねていく様子にぞわっとしたものが背中を走って、慌てて手を引っ込めた。

 毎度のことながらこの人の観察精度には驚かされる。
 というよりも、もはや若干の恐怖すら覚える。

 「それやめてくださいって言いましたよね?これじゃ私が患者みたいじゃないですか」

 「なるほど、家では『妻と夫』でいたいということか。悪かった気づけなくて」

 「〜〜ち、違います!そうじゃなくてっ」

 おかしなほうに話が展開しそうで慌てて声を上げた瞬間、不意に距離が近づいた。
 真澄の指先が、澪の頬にそっと触れる。

 「それからもう一つ。無理な強がりをやめること」

 その声は柔らかでどこか確信を持ったものだった。

 何よりその微笑みがずるい。
 冷静で理知的なはずの彼が、時おりこんなふうに優しさを滲ませて、無自覚に人の心をかき乱していく。

 だから困る。心が、揺れる。

 「君は嘘が下手だ。手の温度も目の充血も、ため息の深さも――体は全部正直に教えてくれる。無理して笑うくらいなら俺が全部背負うほうがいい」

 二の句を継げなくなったのは、どれもこれも図星すぎたから。

 見抜かれている。
 全部、見透かされている。

 本当は気づいてほしかったことまで、すべて。


 これは契約結婚。
 利害が一致しただけの割り切った関係。

 そのはずなのに、今はもう心のどこかでこの人に寄りかかろうとしている。

 駄目だと分かっているのに。
 心まで、少しずつ、ほどけていくのを止められなかった。

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