その天才外科医は甘すぎる~契約結婚のはずが溺愛されています
 「何だか、最初に医局でお会いしたときを思い出しますね」

 ミスのあった発注書を、即座に訂正して対応してくれた。そのときと、いま修正した契約書を差し出してきた姿が自然と重なる。

 「ああ、あのときか」

 澪の何気ないひとことに、真澄も思い出したように表情を緩めた。

 (……あのときは、まさかこんな未来になるなんて想像していなかったな)

 偶然仕事で出会って接した人。
 それが今は、自分の夫になる人として目の前にいる。

 「内容に問題がなければ、契約書の署名欄と婚姻届に記入を」

 そのまま真澄はテーブルに置いていた黒革のファイルを開く。
 取り出された一枚の用紙は、婚姻届だった。すでに左半分は埋まっている。

 (……本当に結婚するんだ)

 まだ実感が追いつかない。
 けれど、目の前にあるのは間違いなく現実だった。

 「入籍のタイミングだけど希望はあるか?」

 「えっと…」

 「俺個人としてはなるべく早く進めたい。ただ、君のご家族にもきちんと挨拶はするべきだと思っている」

 その言葉に、澪はゆっくりとまばたきをしたあと、少し視線を落とした。

 「……うちは両親ともいません。父は私が高校生のときに、母は五年前に亡くなりました」

 真澄の動きがぴたっと止まったのが目に入る。予想していた反応だったのに、いざ目の当たりにすると思いのほか胸の奥がざわついてしまった。

 「他に家族は…?確か妹さんがいたよな」
 「はい。祖母と高二の妹がいて、今は三人で暮らしています。あ、祖母もまだ全然元気ですし、妹も明るい子で」

 変に気を使わせたくなくて、気づけば言葉が急いてしまった。けれど、真澄は特に気にした様子もなく、むしろ穏やかな目で見つめてくる。

 「それならなおのこと、君のご家族に挨拶に行こう。きちんと認めてもらわないとな」

 その言葉に、澪の胸の奥が静かに揺れた。
 淡々とした口調なのに、その言葉にはどこか迷いのないまっすぐさがあって――

 (だったら私も、ちゃんと向き合わないと)

 「……柊木さんには、ちゃんとお話しておかないといけないことがあります」
 「なんだ?」

 真澄が静かに視線を向けてくる。

 「私が、この契約結婚を受けた理由です」

 どう思われるか不安はある。
 でも、目の前にいるこの人には正直に伝えるべきだと思った。

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