その天才外科医は甘すぎる~契約結婚のはずが溺愛されています

第三章 始まった新婚生活

 澪が段ボールの中身を整理していると、ノック音とともに真澄がドアを開けた。

 「荷ほどきは終わった?」
 「そうですね大体は。残りは明日ゆっくり整理しようかなって」

 部屋の横に積まれた段ボールはほとんど開封済み。あとは細々とした私物や日用品をしまうだけになっていた。

 「そうか。コーヒー淹れたけど飲むか?」
 「はい、ありがとうございます」

 実家への挨拶から一ヶ月半。
 澪は真澄の住むマンションに引っ越した。

 リビングへ移動すると、目の前に広がるのは、眩しいくらいのラグジュアリーな空間。見上げた天井は高くて、窓の外に広がるのは都心の景色。

 (本当に、今日からここに住むんだ)

 今日から夫婦として始まるこの生活。契約結婚とはいえ、ひとつ屋根の下で夫婦として暮らすということが夢の中の出来事みたいだ。ぼんやりとダイニングに座ると、真澄がマグカップを差し出してくる。

 「ありがとうございます」
 「そんなにかしこまらなくていい。今日から一緒に暮らすんだから」
 「それはそうですけど、なんだかまだ不思議な感じがして」

 カップを片手に立つ真澄の姿は、この部屋に完璧に馴染んでいる。けれど、自分は借り物の役割を与えられただけのような気がして、どこかそわそわと浮足立って落ち着かない。

 そんな気持ちをごまかすように手元のマグを両手で包む。
 ふと視線を下ろすと、テーブルの上に置かれた薄い封筒が目に入った。

 中に入っているのは、婚姻届。
 もう必要事項はすべて書き終えてあった。

 「この婚姻届、私が出しておきましょうか?」

 婚姻届って日曜日も受け付けてるんだっけ、と考えながら伸ばしかけた指先よりもわずかに早く――真澄の手が封筒をさらった。

 「俺も行く」

 驚く澪に向けられたのはいつも通り冷静で、どこか強い意志を宿した視線。

 「これは人生で一度きりの届け出だろ?」
 「それは、まぁ……」
 「君にとっては契約かもしれないが、俺にとっては――それ以上の意味がある」
 「……え?」

 意味が分からないわけじゃない。
 けれど、真澄がどういうつもりで言った言葉なのか、どう受け止めればいいのかが掴めなかった。

 (形式だけのはずなのに、どうしてそんなふうに言うの?)

 真澄の言葉は、思ったより深く胸に残っていく。ただの義務感からではなくて、自分からそうしたい、と思ってくれている。そのことが嬉しいと思ってしまった。沈黙していた澪に、真澄が少しだけ視線を伏せて息を吐く。

 「籍を入れるということは、君を守る立場になるってことだ。だから二人にとって大事なことはちゃんと一緒に関わっていたい」

 封筒を持ち上げながら、真澄がふと問いかけてくる。

 「今から出しに行くか?」

 その一言に、胸がきゅっとなる。
 そして澪はゆっくり息を吸って、こくりと頷いた。

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