その天才外科医は甘すぎる~契約結婚のはずが溺愛されています
 夜は、外のレストランで控えめなフレンチコースを食した。ワインは軽く一杯だけ。それでも、異国の空気に包まれた緊張と高揚感で、部屋に戻ってからも澪の心はまだ少し浮ついていた。

 「先に風呂で疲れを取るといい」

 そう言われて素直にバスルームへと向かった。高級ホテルらしい広々としたバスタブに、アロマの香りがふんわりと漂う。体の芯まで温まって、バスローブを羽織ってリビングに戻ると――

 ソファに腰を下ろした真澄が、ノートパソコンを開いていた。
 薄明かりの中で、ディスプレイのブルーライトが彼の表情をほんのり照らしている。すぐそばのテーブルには、タブレットと分厚い英文の資料が重ねられていた。

 「……お風呂、空きましたよ」

 声をかけると、真澄は一度こちらを見て小さく頷いた。

 「ありがとう」

 バスルームに向かう気配はなく、再び画面に視線を落とす。

 「明日の準備ですか?」
 「……あぁ、資料の最終確認をしてる」

 キーボードを叩く音が静かに響く。まるで誰もいない図書館のような静謐な空気に、澪はそっとバスローブの前を合わせる。

 「長旅だし疲れてるだろ、俺のことは気にしないで、先に休んでてくれていい」

 パソコンの画面から目を離さずにそう言う真澄の声は、どこまでも優しくて、どこまでも自然だった。

 
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