その天才外科医は甘すぎる~契約結婚のはずが溺愛されています
 「楽しみに……してたんです。真澄さんと一緒に海外に行くのも、学会を見に行くのも……」

 ぽろりと、最初の言葉がこぼれる。
 それは、ずっと胸にしまっていた感情が、ほどける瞬間だった。

 「でも、あの奥さんは慈善活動をしてるって言ってて。私、ただ薬を運ぶだけで……」

 言葉の順番なんてもう、どうでもよくなっていた。どれが先で、どこからがきっかけで、何が原因だったのかなんて、整理できなかった。

 自分の仕事が好きだった、誇りもあった。
 それが、今日だけはすごくちっぽけに思えてしまった。

 「真澄さんの発表見たら……すごくかっこよくて、堂々としてて……ああ、やっぱりこの人は、自分とは違う世界の人なんだなって、思ったんです」

 声が震える。でも、もう自分でも止められなかった。

 「……私じゃなくても、他の誰かのほうが良かったんじゃないかって。もっとすごい人が、真澄さんの隣りにいるべきだったんじゃないかって……」

 ぎゅっと目を閉じる。

 自分でも、どこまでが本音で、どこまでが不安なのか分からない。

 真澄はただ黙って、強く抱きしめる。
 言葉を挟むことも、否定することもなく――ただ、そのままの澪を、まるごと受け止めてくれていた。

 誰よりも静かで、何よりも温かなその腕の中で、澪の涙ははらはらと落ちていった。

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