その天才外科医は甘すぎる~契約結婚のはずが溺愛されています
 真澄の手が、そっと澪の頬に触れた。

 「……泣くな」

 その言葉と同時に、迷いのない動きで彼の顔が近づく。そして――

 不意に、唇が重なった。

 「……っ!?」

 驚きに息が止まる。

 それは優しくて、でも深くて、澪の中のぐらぐら揺れていた感情が一瞬で止まるような、不思議な静けさを運んでくるキスだった。

 何も言えないまま、真澄が唇を離す。

 「誰でもいいなんて、思ったこと、一度もない」

 その声は低く落ち着いていて、それでいて奥から湧きあがってくるような熱を孕んでいた。

 「前にも言っただろ……あの日医局で初めて会って澪の仕事ぶりを見て信用できると思った。だから、契約結婚なんていう提案をしたんだ」

 ゆっくりと、真澄は視線を澪に向ける。

 「でも――一緒に暮らしてみてわかった。誰かのために一生懸命で、誠実で、嘘がつけなくて……そのくせ、自分のことはすぐ後回しにして、無理をしてでも笑おうとする」

 澪はおそるおそる顔を上げる。
 けれど何も言えずに、彼の言葉に耳を傾けた。

 「――毎日たまらなかった」

 するりと、真澄の指が頬の涙を拭うようにたどる。 

 「照れる顔も、意外とすぐ拗ねるところも、俺の前ではちょっと不器用になるところも……全部、全部、好きになってた。気づいたときにはもう、どうにもならないくらい、惹かれてた」

 その目はまっすぐで、どこまでも真剣だった。

 「好きだ。澪以外誰も欲しくない」

 目の前にあるのは、まっすぐな瞳と、嘘のない視線。
 息が詰まりそうなほどに、真澄のすべてが、まっすぐにぶつかってくる。
 
 「……わたしも、です」

 真澄の瞳が一瞬、揺れる。

 「……真澄さんが好きです」

 その言葉がこぼれた瞬間、真澄の表情が、どこか張り詰めていたものを緩めたように変わった。
 真澄が、そっと澪の頬に手を添える。

 「泣くなよ。せっかくのドレスが台無しだ」

 くすっと笑いながら、その手が耳の後ろにそっと回る。

  「……もう一回キスしてもいい?」

 少しだけ真澄が眉を下げて、低く静かな声で問いかける。
 その真剣な眼差しに、澪は頬を染めながら、小さく笑った。

 「……さっき、いきなりしたのに……」

 互いに顔を寄せ合って、今度はゆっくりと――二人の気持ちが重なっていくようなキスを交わした。

 もう、迷いも、不安もなかった。

 ただただ、好きだという気持ちだけが、そこにあった。
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