恋するだけでは、終われない / 告白したって、終われない
第三話
夏の太陽は、すでにギラギラと。
神社だろうが、容赦無く照りつけてくる。
僕は参道の脇に積まれた砂利の山の数を、カウントし始めたけれど。
途中からは、なんだか。
寝る前に数え出すとかえって眠れなくなる、『羊の数』と同じ気がしてきて……。
そのあとは無の心で、神社の入り口へと歩み続けることにした。
「レオと、ゴマちゃんか……」
妙な名前の、狛犬のを思い出しながら鳥居までくると。
うげぇ、すごい量の砂利じゃないか……。
いつのまにか、ダンプカーがそれを置いていったようだけれど。
「絶対、頼む量まちがってる……」
狛犬『ゴマちゃん』の前に、僕の身長より高い砂利の山があって。
同じく『レオ』の近くに、それが三つも……。
とてもじゃないが。もう無の心になんて、なれそうもない。
おまけに、山のところになにかあると思ったら。
「多過ぎると思うので、『桁』をひとつ減らしました」
そんなメモが置いてある。
……まさか、この十倍の量を頼んだのか?
大丈夫か、この神社?
……いつまでも、絶望しても仕方がない。
終わりなき旅に出る、これは修行なんだといい気かせて。
ひとつ目の山の、ようやく十分の一あたりに差し掛かった頃。
「……っとらん」
ん?
砂利の音で、よく聞こえなかった。
「おい、お前だ!」
驚いて振り向くと。
年配の男性が、腕組みをしながらこちらを見ている。
「お前だ、入っとらんぞ!」
いったい、なんの話だろう?
もう一度聞き直そうかと思ったら、大きな声で言われた。
「砂利に、腰が入っとらん!」
……なるほど。
もしかしてこれが『小うるさい原さん』なのか?
犬がいない気もするが、どこかにつないであるのかもしれない。
「砂利の山に、ショベルを『こう』するんじゃ」
あの……原さん。
腕組みしたままで、いわれても。
その、『こう』の部分を体で示してくれないと。
どうしたらいいのか、わからないんですけど……。
でも、小うるさいらしいから。黙ってやってみよう。
「違う、『こう』じゃ!」
いや、ですから。
どこが『こう』なんですか?
口だけじゃなくて、実演してくれませんか?
「『こう』じゃ『こう』!」
首だけ、そんな熱心に縦に振られても。
わ、笑いませんから……。
ちゃんと教えてください、原さん……。
僕は図書室にあった、今週のおすすめのコーナーをふと思い出す。
確か、『悪質クレーマーをキレさせないために』みたいなタイトルの本を。
パラパラと、めくったよなぁ。
……逆らったり聞き直したりは、避けるんだっけ?
あのときは、高校の図書室に置くには変な本だと思ったけれど。
人生やっぱり、どこでなにが役に立つかわからない。
知は力なりだと、僕は思った。
……原さんは、まだ飽きもせず。
僕のうしろで「『こう』じゃ『こう』」と、同じことばかり繰り返している。
でも、いっているだけで怒られなくなったので。
ひょっとしたら原さん的に、僕は少し上達したのかもしれない。
あるいは、神社の空気が僕の魂を既に浄化してくれていて。
原さんのようなクレーマーの存在にも、左右されない境地へと。
僕はすでに、辿り着きつつあるのかもしれない。
そう思うと、もしこのまま原さんがここいれば。
この砂利の山を。あっというまに制覇できるかもしれない、とさえ思えてきた。
……ところが、原さんは自由だった。
「疲れた」
ついに、『こう』の連呼に疲れたのか。
実は一向に上達しない僕を教えるのに、疲れたのかはわからないけれど。
原さんは、隣の砂利の山に座ってしまう。
「やれ、やれ」
いえ、そういいたいのは僕のほうなんですけどね。
まさか原さん、このまま居座る気じゃないだろうな?
……と、そのとき。
大型犬ににらまれた、昼寝中の三毛猫のように。
原さんがやけに慌てて、立ち上がる。
「……お父さん? あと海原君。……な、なにしてるの?」
そうか。
高尾先生でも、驚くことってあるんだな。
……って、へ?
いま、『お父さん』っていいました?
僕が、原さんだと思ったのは、なんと高尾先生のお父様で。
じゃ、じゃあここの『宮司』なの!
「いやぁ、海原昴君。悪かった悪かった! 響子が『彼氏』を連れてくると聞いたもんでな。いったいどんなヤツかと思って、わざわざ見にきたら。なんだか高校のジャージを着ているもんだから。ちょっとふざけすぎてしまった!」
なんか、すごいことをいっているけれど。
その笑顔は、確かに高尾先生の父親だ。
「昔演劇部にいたから、ちょっとは変な爺さんみたいな感じがしただろ?」
「まぁ、すっかりだまされてしまいました……」
「いやぁ、君もなかなか立派だったじゃないか!」
「は、はぁ……」
「ちっとも嫌な顔をせず、わたしに付き合ってくれたぞ」
「完全に、原さんだと思っていましたんで……」
さすがに、ご機嫌な高尾父に。クレーマーだと思っていたとまではいえず。
「原さんって、あの原さんかね?」
「いえ、僕の想像上の原さんのほうです」
「ほう、あの原さん。狛犬のところまで出てきたんか」
……話しが、かみ合わないのも。
これまた、高尾家の伝統かもしれない。
……すると突然。
高尾父が、笑顔を捨てて真剣な顔になる。
え、えっ……。
「……ところで、海原昴君」
「は、はい!」
忘れていたけれど、この人は宮司だ。
祈祷の前とか、そんな雰囲気の顔を見て。おまけにまたフルネームで呼ばれて。
僕は若干、緊張したのだけれど……。
「君はその……。高校のジャージを着ているのか?」
「へっ?」
「それともジャージを着た高校生なのか?」
……ダ、ダメだ。
し、質問の意図が。
まったく。わ、わからない……。
ただ。高尾父の血を、高尾先生がきっちり受け継いでいることだけは確信した。
「えっと……高校生です」
「そうなのか! で、何年生?」
「一年ですけど……」
「なんじゃと!」
高尾父が今度は、両手で頭を抱えてうずくまる。
え、なんなの?
演劇、また始まるの?
……ようやく高尾先生が、あきれたような声で説明を始める。
「お父さん、お母さんが冗談でいっただけよ……」
「なに! 響子が『彼氏』を連れてくる、というのがか?」
「そうそう。彼は厳密には『まだ違う』けれど、わたしの教え子よ」
「『厳密には』ってことは! やっぱり彼氏なのか?」
な、なんなんだこのふたりの会話……。
「だ・か・ら! 海原君は、二学期からの高校の生徒なの」
「なに? まだ高校はいっとらんのか?」
「違うってば。藤峰佳織、覚えてるでしょ? あの子の……」
「なに! か、佳織ちゃんの彼氏なのか!」
「……なわけないでしょ、ほんとにもう!」
ついに、あの高尾先生が。
両手を大袈裟に上げて、夏の大空を見上げてしまった……。
「……いやぁ、悪かった!」
先ほどと同じような展開で、高尾父が僕に謝る。
「響子にまーったく彼氏ができんので。この際、現役の高校生だろうがなんでもいいからと思って。どうやら妄想に走りすぎたみたいだ。ちょっと歳を取ってから産まれた子だから、そりゃぁもう心配でなぁ……」
大きく口をあけて、楽しそうに笑う高尾父を見て。
なんだか、いい人なのはよくわかった。
「ほんと、これで宮司だからねぇ……。あ、お父さん! そろそろ出発しないと」
「そうだなぁ、あんまり遅れると怒られるしなぁ」
そうだった。
忘れていたけれど高尾父も、旅行に出るのか。
「荷物とか、大丈夫なんですか?」
「高校一年生よ。お心遣い、痛みいる。わしは生来こんな感じだから、全部もう妻が持っていってくれておる。なぁに、切符さえあれば生きていける」
ま、まぁ切符は好きですけど……。
さすがに生きていくには、もう少し他のものもいるんじゃ……。
「え? ……ってことは、またお財布忘れてない?」
「ん? 切符は財布の中なのか?」
「もう! 急いで取ってくるから、ここで動かずに待ってて!」
いうが早いか、高尾先生が巫女姿のまま全力で社務所へと走っていく。
なんというか、初めて見る家族モードだ。
……高尾先生が、戻るまでのあいだ。
僕は問われるままに、先生と僕たちがどのように出会ったのか説明した。
高尾父は。ときに目を丸くしたり、大笑いしながら。
熱心に、僕の話を聞いてくれた。
「いやぁ。大事な娘が、どこでどんなことをしているのかなんて。大人になったらあんまり話してくれんからのう。ありがたやありがたや」
「いい先生だと、僕たちは思っています」
「いや違う。響子は、いい生徒たちに、恵まれたんじゃ!」
なんだかまた、演劇部モードに戻ったのは。
ひょっとして照れ隠しのため、なのかもしれないと僕は思った。
「お父さん! お財布と切符、わかりにくいところに置かないでっ!」
息を切らせながら戻った、高尾先生に。
返事代わりに、高尾父は。
よしよしといわんばかりに。先生の髪の毛をくしゃくしゃにして、なでていて。
「巫女のヘアスタイルが崩れるでしょ! もう、早くいって!」
完全に、娘モードに入った高尾先生は。
こちらもなんだか、照れているみたいだった。
……結局先生と僕は、念のためにと高尾父を駅まで見送ることになった。
「こんな近くなのに、悪かったなぁ」
「いいから、これで乗り遅れたりしないでね!」
突然、高尾父が目尻にたくさんのシワを寄せながら、僕を見る。
「そうそう、海原君。いま、高一だっていっていたね?」
「はい」
「妻との年齢差が、ちょうど君と響子と同じだよ」
「はい?」
「ちょっ! お、お父さん!」
高尾先生が、珍しく顔を真っ赤にしながら声をあげる。
「なぁに。大人になればな、年齢差なんて大して意味を持たん。『例えば』の話しで。わしたちの逆があってもいいと、伝えただけじゃ」
そういうと、高嶺父は右手で軽く手を振りながら。
プラットフォームを、軽快な足取りでのぼっていく。
「まったくもう……。で、海原君!」
「はい?」
「父の話は、みんなに内緒だからね! わかった?」
「は、はい……」
「特に佳織とか、絶対ダメだよ。バラしたら、化けて出るからね!」
えぇっ? 先生のところって、神社なんじゃぁ……。
「なんともなんとも。親の前とは違って、随分と仲がいいんじゃのぅー」
ギョッとして、声のしたほうを見ると。
プラットフォームから高嶺父が、大きな声で僕たちをからかっている。
「……もう、今度から見送らないからね!」
そういいながら、高尾先生は。
駅から列車が発車して見えなくなるまで、大きく手を振っていた。
僕は、果たしてその横に立っていてよかったのだろうか?
それでも、立たないほうがふたりに失礼だと思った僕は。
高尾先生の隣で同じように、大きく手を振り続けた。
「……あら宮司さん。あちらは娘さんと……ちょっと若そうに見えますけれど、お相手はどなたですか?」
「さぁなぁ。未来のことなんてわからんしねぇ……。確かに少し若いが……」
目尻に、たくさんのやさしいシワを寄せながら。宮司がそっとつぶやく。
「……跡継ぎになれば、楽しそうな青年ですよ」
列車が駅に到着して、発車するまでのあいだに。
宮司とご近所さんのあいだに、そんな会話があったなんて。
……僕たちはまったく、知らなかった。