恋するだけでは、終われない / 告白したって、終われない
第六話
「……あ、おはようございます」
わたしは、できる限り素っ気なく声をかける。
「た、高嶺さん?」
いつもなら。
『名前呼び』から昔に戻ってますよ、とかいいたくなるところだが。
さすがにいまは、やめておこう。
「熱中症とか、貧血とか、そんな感じですかね? 暑いし、朝早かったし」
電車から見えちゃいましたよ、海原と朝から楽しそうに……みたいな嫌味も。
いまはやめておきますよ、月子先輩。
「……高嶺! 手伝ってくれ!」
海原のあんなに焦った顔を見たのは、『あのとき』以来だ。
背中に月子先輩を背負って、授与所にアイツが走ってきた。
先輩の、いつも白い顔がさらに白いのに驚いて。
すぐには動けずにいたわたしに、気がつくと。
アイツは今度は、冷静にわたしに声をかけた。
偶然倒れる前に支えられたので、頭も体も打ったりしてはいない。
多分、熱中症だろうから。
まずは横にして、体を冷やす必要がある。
「……だから落ち着いて、社務所にきてくれ」
アイツが、わたしの目を見て。ゆっくりと、話してくれて。
今度はわたしも、理解ができた。
布団の上に、月子先輩をゆっくりと横たわらせるアイツの目は、真剣だった。
「エアコンの温度を一番低く、風量を強くしてくれ」
わたしは、いわれたとおりにする。
「冷蔵庫にペットボトルがあるか、冷凍庫に氷があるか教えてくれ」
具体的にどこでなにを探せばよいか教えてくれたので、わかりやすかった。
「先輩のジャージを、脱がせてくれ」
そういって、海原がどこかにいこうとして。
わたしは慌てて、アイツの手を取った。
「心配するな。タオルとペットボトルで体を冷やす準備をしにいくだけだよ」
そういったあと、アイツは。
「僕が、ジャージを脱がせたと知ったら……」
真面目な顔で。
「三藤先輩が怒って、二度と口をきいてくれなくなるだろ? だから、頼む」
なにそれ? こんなときにその心配なの?
わたしが思わず、口元をゆるめると。
「そうそう。高嶺がここで笑えなかったり、ついでに倒れられたら……」
「たら?」
「さすがに、僕が困るんだ……」
まだ、真面目な顔をしているけれど。
自分が少しでも、アイツの役に立てると思うと。
わたしはなんだか、落ち着けた。
三藤先輩の両脇に、ペットボトルを挟んでくれ。
額にタオルを乗せて、ぬるくなったら氷水で冷やしてあるものと交換してくれ。
高尾先生を探しにいくけれど、見つからなくても五分以内には必ず戻るから。
「それまで先輩を、よろしく頼む」
アイツが、先生を連れて戻るまで。
不思議とわたしは不安にならなかった。
アイツにいわれたことを守れば、なにも問題はないし。
なにより、アイツが必ず約束を守ると信じていた。
「……うん、大丈夫そうだね。海原君、処置としては完璧だよ」
この広い神社で、どうやって見つけたのかは知らないけれど。
アイツはあっというまに、先生を連れてきた。
ほっとして、力が抜けそうになったわたしに。
「お前も、飲んでくれ」
アイツはよく冷えた麦茶を、やさしく渡してくれた。
まだ真顔の海原を見て、思い出す。
そういえば『あのとき』。
部室の窓からわたしが消えて、頭を打ったと勘違いしたときも。
アイツはこんな顔だった。
ふと思い出して、ちょっと笑ってしまう。
「どうした?」
「だって前に、わたしが倒れたと勘違いしたときの顔を思い出したらさぁ……」
「あぁ、あれか……」
アイツは、少し照れくさそうにしたあとで。
「まぁおかげで、学んだんだ」
ボソリと付け加えると。
ようやくいつもの、穏やかな顔に戻った。
……なるほど、だからきょうは冷静になれたんだね。
海原の成長にわたしは役に立てた。それはうれしい。
でも同時に。
あのときのわたしと、きょうの月子先輩。
「アンタにとって、どっちが心配だった?」
そんなことを聞きたいと、考えてしまった。
意味のない問いは、海原を傷つける。
いや、違う。
きっと答えを知って、傷つくのはわたしだ……。
「しばらくわたしが見ておくから。ふたりとも、少し休みなさい」
高尾先生はそういって、ちょっと照れくさそうに冷凍庫を指差す。
「わ、わたしの名前が書いてある、赤い箱があるから……。あけていいわよ」
そういえば氷を探しているときになんだか、金属の箱があった気がする。
「なんですか、これ?」
「いいから海原君、あけなさい」
するとアイツが、声を殺して笑いながら。わたしのほうを見る。
「仕方がないでしょ!」
高尾先生の顔が少しだけ赤くなったけれど。
いったい、なにが入っているの?
「ちょっと手、広げてみ?」
いわれたとおりにすると、海原が。
わたしの手に、よく冷えたものをいくつか置く。
な、なにこれ……?
赤い箱に、わざわざ入れ直してあったのは。
個包装の、チョコレートで包まれた小さなアイスクリームで。
「先生、いまどき小学生でもこんなことしませんよ……」
「そのままだと、いつも全部父に食べられるの! 子供の頃からそうなの!」
アイツにいわれて、高尾先生がすっごく恥ずかしそうにしていた。
「……甘くて、おいし〜」
笑顔のわたしを、海原がじっと見る。
な、なによ? どうかした?
「なぁ、調子悪くないよな?」
もしかして。そんなにわたしのこと、心配してくれるの?
「平気平気。大丈夫だから心配しないでいいよ!」
「そうか、ならよかった」
……笑顔を添えて返したのに、なにその顔?
ふと、畳の上で横になっている月子先輩を見てから。
頭の中で、自分の姿を重ねてみる。
……まさかと思うけれど。
コイツ! もしかして……?
「ねぇ、アンタさぁ? 本当にわたしの『体調』心配しくれてる?」
普段の海原なら、この流れでさすがに理解できるはずだけれど。
でも、きょうは違った。
「お前を運ぶのは、さすがに重そうだから。頼むから絶対、外で倒れるなよ」
アンタさぁ……!
いま、真顔で答えたよね!
「そうだねー。格好つけてたけど、単に先輩をおんぶして喜んでたんだねー!」
わたしの怒りのこもった、嫌味たっぷりのセリフを聞いて。
この、『最低鈍感男』が。
ようやく間違いに気づいたらしい。
「うわっ! ご、ごめん!さっきのナシ!」
「いまさら遅いわよっ! アンタなんてサイテー!」
「……いつまでも月子ちゃんの体操着姿に見とれていないで、部長は働こっか!」
しばらくして、高尾先生はそんなことをいうと。
アイツを働かすために、社務所から追い出した。
「もうちょっと涼んだほうがー」
「なにいってんの! 三人分働いてこそ、部長だよ!」
そうそう、高尾先生。
わたしは先生のそういうところが、大好きだ。
もう大丈夫なんだろうけれど、念のため月子先輩を確認する。
そういえば、わたしのときは頭をさんざん鷲掴みにしたくせに。
きょうのアイツは。
布団に寝かせてからはこの人には、一切触らなかった。
でも、ここまで背負ってきたんだよね……。
うーん。
なんだかちょっと、複雑だ……。
「……た、高嶺さん?」
「あ、おはようございます」
わたしは、できる限り素っ気なく声をかける。
「よく覚えていないのだけれど。なんだか、ありがとう」
「いいんです、頭とか打たなくてよかったですね」
「でもわたし……。どうしてここにいるのかしら?」
不思議そうな顔の、月子先輩にわたしは。
「わたしじゃ運べないでしょ、とだけ答えておきます」
それだけ告げると。
あとは無言で、冷えた麦茶を差し出した。