恋するだけでは、終われない / 告白したって、終われない
第十話
「……みんなお疲れさん! おかげで一週間を乗り切ったぞ!」
高尾先生が、珍しく苦笑いしている。
「なんだかいうことがズレてて、ごめんね……」
……金曜日の、夕方。
社務所では、旅行帰りの先生のお父さんとお母さんを加えて。
ささやかな慰労会が始まった。
「乗り切ったのはわたしたち。お父さんたちは、ただの旅行でしょ?」
「それでも、響子が急にいけというから。そのせいで大変だったんじゃ」
「なにが?」
「授与所のおばさんたちがな、巫女の衣装と着替えを間違えて持ってきての」
「それくらい、別にいいじゃない」
「えっ。……いいのかな?」
ちょうど、僕のうしろをとおりかかった春香先輩が、僕にささやく。
「バスに座りにくいとか、食べにくいとか、いちいちうるそうてな」
「……えっ、まさか巫女の衣装で観光したんですか?」
春香先輩と、隣でおかわりを運んでいた玲香ちゃんが。
驚いて目を見開いている。
「なぁに、醤油くらいこぼしても洗えば済む!」
「染み抜きとか、自分でしたことのない人のセリフよね……」
三藤先輩、ツッコム所はそれですか?
「それより庭師の爺さんがな、枝切りバサミをカバンに入れたまんまでな」
「あぁ、だから海原君に頼めなかったんだよねぇ〜」
「高尾先生、まだまだ押し付ける気だったのね」
先輩が再度、ボソリとつぶやいてから。
「観覧車に乗るときに誰かに見られたらしくてな。警官に囲まれたわい!」
宮司がそういって、ケタケタ笑っている。
「まだまだあるぞ青年! どうじゃ、聞きたいか?」
僕は王様席で、演劇調になっている高尾父に背中をバシバシ叩かれながら。
向かい側に座って、おいしそうにビールを飲んでいる先生を見る。
「もうわかったから、お父さん。それよりお土産は?」
「おぉ。『いき』の列車の中に忘れたから取りにいってくれ、海原君!」
「え〜、楽しみにしてたのに〜! 海原君、お土産忘れたってよ!」
……ちょ、ちょっと待って高尾先生。
土産をいきに買うの、とか。
教え子に取りにいかせないでよ、とか。
ほかにいうこと、ないんですか?
「あと悪いんだけどねぇ、山田さんがお清めのお塩を忘れたらしくて」
え……。
先生のお母さん?
「ついでにそれも、お願いしていいかしら?」
山田さんって、誰ですか?
旅行に塩って、いるんですか?
あとそこ、笑顔でいうとこですか!
「おぉ、えらい重たそうにしとったのは。なんじゃ、塩か?」
おぉ塩か? じゃじゃなくて、塩ですよ!
旅行にいらないでしょ!
「えぇ、気合いを入れてみなさんにと。カバンにずっしりと入ってましたよ」
「旅先のおすそ分けが『塩』とか、わたし絶対に嫌だ……」
あのな高嶺。そんなの、みんな嫌だから。
それにしてもなんなんだ、この夫婦。
高尾先生!
お願いだから娘として、なにかいってくれないんですか?
「それで、お土産の賞味期限っていつまで?」
そ……それじゃないでしょ!
「……つい先日お会いしたばかりなのに、随分と馴染んでおられるようで」
三藤先輩が、僕によそよそしくいい放ち。
「いっそこのまま、ここで働けばー」
高嶺もこういうときだけは、先輩に同意する。
「それはそうと、昴君。あの話を聞いてみようよ!」
でも、玲香ちゃんが話題を逸らしてくれた。
もっとも、自分の興味が優先なだけかもしれないけれど。
「そうだね、海原君のことは別にいいからさ」
春香先輩がどうも、最近やさしくない……。
……昨日の紅葉や、三藤先輩の『金縛り』。
結局、この五日間で。
原さんに僕たちが関われたのは、この二回だけだ。
たった二回だけれど、不思議な経験。
ちなみに先生には昨日、高嶺が紅葉の葉を見せたのだけれど。
「ふーん。原さんが、ねぇ……」
そういったきり。
僕たちがなにを聞いても、色よい反応は得られなかった。
「ねぇ、宮司さんならわかるんじゃない?」
昨夜帰り道に、春香先輩がいい出して。
きょうは朝から、玲香ちゃんを筆頭に。
ようやく、原さんについて聞けるかもしれないと。
みんな一日中、楽しみにしていたのだ。
「ほら、早く!」
高嶺が、早く聞けと僕の背中をつついてくる。
ちょうど高尾父が、三本目の瓶ビールを飲み干した。
そうだ、酔っ払う前に、聞かないと!
「……オ、オトウサン!」
しまった!
思いがけず、僕の声が大きくなって。
ついでに裏返ってしまった。
向かいに座る高尾先生が、さっきまでの話しでは驚かなかったくせに。
途中駅で買ってきてもらったという、大好きな駅弁屋の稲荷寿司を。
なぜかこのタイミングで、箸のあいだからポロリと落とす。
「ちょ、ちょっと待て、青年!」
高尾先生の『お父さん』が、目を見開く。
いや、そんな大声で返事しないでくれても……。
「続きはゆっくり、聞かせてもらおうか!」
それから、まるでうなるような声をあげると。
「母さん、気つけに頼む」
「はい……」
四本目のビールをコップに注いでもらうと、それを一気に飲み干した。
「よし」
少し下がって正座して、宮司らしく背筋を伸ばす。
「ついに、響子にも。こんなときが訪れたのですね……」
高尾母が、エプロンを外しながら神妙な面持ちで僕を見る。
「えっ……?」
「お待ちください『海原さん』。わたくしも、夫の横に添わせていただきます……」
イ……。
イッタイ、ナンノコトデスカ?
そんなに声が裏返ったのが、マズかったんですか?
いまいち、事情がわからない。
高尾家のリアクションの解説を求めて、先生の顔を見ると……。
先生が好物の稲荷寿司を拾えないままで。
め、目が……。
点になっている。
え、え?
エーーーーッ!
うろたえる僕の隣に、三藤先輩が隣にスッと現れて。
先輩は、宮司夫妻と同じくらい姿勢を正して正座すると。
両手をきっちり揃え、高尾父と母を交互にじっと見つめる。
「高尾先生の、お父様、お母様……」
思わず。僕も、ゴクっと唾を飲み込むと。
……先輩が、次の言葉を発する前に。
僕の背中に、ガツンと拳が突き刺さった。
「か、勘違いです! んなわけありませんから!」
ようやく事態を飲み込めたらしく、高嶺が大声をあげる。
「ちょっと、海原君。早く謝りなさい! この罰当たり!」
春香先輩……。やっぱり最近、きついですよ。
「昴君、それは違ったなぁ〜」
玲香ちゃん、お願いだから。そんな目で見ないで……。
……窓の外でカラスが二、三度鳴いている。
漫画だと完全に、カラスに馬鹿にされているシーンだけれど。
この場では、カチ、カチ、カチ……。
社務所の小さな置き時計の、カウントが聞こえるくらい。
恐ろしいほどの、静寂が訪れた。
「……冗談じゃ冗談!」
「ちょっとからかってみただけよ〜」
高尾家の両親が思いっきり笑い出す。
へ?
もしかしてみんなまとめて、遊ばれた?
「ちょっと、ふたりともいい加減にして〜!」
高尾先生が、大きな声で叫ぶ。
先生は、続いて僕にも。
「海原君! 紛らわしいことは二度としない!」
そういって、あとは真っ赤な顔をしたまま下を向いてしまった。
「す、すいません!」
慌てて謝る、僕の隣で。
「……心臓に悪いので、次はないわ」
三藤先輩が、迫力満点にボソッとつぶやく。
「ったく、バカにも程度ってもんがあんでしょ!」
「この絶望的な空気の読めなさが、海原君なんだよねぇ……」
「ほんと。昴君の、そういうところだよ」
……それからの『宴』は。
なぜか、縮こまったままの高尾先生と。
いじられ続けた僕以外は、ワイワイと過ごせたと思う。
なお、余談ではあるが……。
僕が大人になったずっとあとで、こんな出来事があったと。
ある人が教えてくれた。
「……娘の結婚、随分とあっさりとお認めになりましたね?」
「それはのぅ……。心構え、いや。前に予行練習した甲斐があったんじゃ」
そんな会話をした、やや歳の離れた夫婦がいたそうだ。
普段はやや気むずかしいというその人は。
お気に入りの人間を前にすると。
……どうも演劇がかるクセがあるらしい。