恋するだけでは、終われない / 告白したって、終われない
第十五話
……わたしは、雨の中。
ひと気の絶えた参道を、まっすぐに走り続ける。
体が、濡れる。
砂が、跳ねる。
でもいまは……。そんなことは重要じゃない。
わたしは、とにかく。
みんながいる、あの空間から。
少しでも遠くに、いきたかった。
……小さなお社の前で、青柳色の和傘をさしている人が見えて。
わたしは泥をかけてはいけないと、一旦歩みをゆるめる。
でも、こんなところで常識人っぽく振る舞ったって。
ずぶ濡れなんだから、余計変に思われちゃうのに……。
無言で、傘の人の脇をとおり過ぎようとした、そのとき。
「巫女のお嬢ちゃんは、傘がないんじゃのう……」
そんな声が、聞こえた気がした。
見たらわかるでしょう? どうか、放っておいて。
その声を無視して、進もうと思うのに。
……え? どうして?
なぜか両足が重くなって、先に進めない。
焦って顔を、横に向けると。
木陰で雨宿りをしている犬がいて。
じゃぁ。えっ、もしかしてこの人って……。
「……原さん、ですか?」
「いかにも」
原さんはゆっくりとうなずくと、わたしを見て。
「して、どうするつもりじゃ?」
「えっ?」
「どうするつもりじゃ?」
そんなことを、聞いてくる。
いったい原さんは、わたしのなにを知っているのだろう?
でも、なにも知らないのに。
わたしにそんなことを聞いたりは、しないはずだ。
「まだまだ、じゃのう……」
わたしが、次の句を発する前に。
原さんの姿が、見えなくなった。
いや、少し違う。
わたしの、大好きだけれど聞かないことに慣れないといけない。
そんなふたつの声が、聞こえてきて。
わずかに一瞬、振り向いただけなのに。
……原さんは、もう。
その姿を、消していた。
「……陽子っ!」
わたしの親友、三藤月子が。
どこにそんな力があるのかと思うくらい、力強くわたしを抱きしめる。
真夏の夕方、一気に降った雨の中を全力で走ってきたからなのか。
月子の体が、湯気が立つくらい熱い。
……あなたは普段、体温がとても低いのに。
いまは、その温もりが。
体の奥まで、染み渡る。
わたしが、月子を抱きしめて。
月子がわたしを、抱きしめ直す。
ああ、この子からわたしは。離れることができなくなるよ……。
……それから、ふと。
ふたりの周りだけが、雨が降っていないことに気がついて。
どうしてだろうと、顔を上げると。
青柳色の、和傘が。
わたしたちを覆っていることに、気がついた。
「……なんだか、抹茶パフェみたいな色ですよね」
背中のほうから、海原昴の声がして。
思わずわたしの肩が、震えだす。
「陽子、どうしたの?」
月子の、心配そうな声が聞こえてきた。
「だ、だって……。この状況で、抹茶パフェとか普通いう? おかしくない?」
わたしの震えが、笑いをこらえているものだと気がついて。
月子がゆっくり、抱擁を解いてくる。
でも、涙なのか、雨なのか。
まだわたしには、彼の顔が見えにくくて。
「月子、もう少しこのままでいて」
そう甘えて、月子の肩にもう一度顔をうずめる。
「ところで海原くん。その和傘、どこにあったのかしら?」
「おふたりが抱擁しているときに、一瞬目をそらしたら……。そこのお社に立てかけてあったので、お借りしました」
「どうして、目をそらしたの?」
「い、一緒に混ざるわけにはいかないな、と思ったので……」
海原君と月子の、そんな会話を聞きながら。
原さんが、濡れなければいいなと思うと同時に。
……え? もしかして!
慌てて顔を上げて、振り向いて。
「海原君、ずぶ濡れじゃない!」
いまさらのことに気づいて、大きな声が出た。
「いや、さすがに三人入るのは無理ですし……。せめておふたりを濡らさないようにしないと。藤峰先生に、風邪をひかせるなといわれましたし……」
……はぁ。
これが、海原昴だ。
抹茶パフェとか、藤峰先生とか。
感動の場面だよ?
どうしてそんな妙な現実感ある言葉、出してくるのかなぁ!
でも、そうだよね。
この体勢で傘に三人はきついよね。
ただね、それで君だけが濡れていいなんて。
そんなのは、あっちゃダメ。
「ねぇ、いい方法があるの」
「え?」
「月子と海原君、背中合わせに立ってもらえない?」
「ちょ、ちょっと陽子……」
「いいからいいから。早く背中をくっつけてよ」
……わたしの大好きな親友と、わたしが好きになった人が。
わたしの前で背中を合わせている。
ふたりの濡れた背中と背中が触れ合うと、また湯気が上がっているけれど。
このときばかりは、気にならない。
だってね……。
わたしは、背中合わせのふたりに背を向けると。
自分もそっと、背中を合わせる。
……うん、これでいい。
あたたかくて、これが好き。
わたしからは、月子も、海原君も見えないけれど。
互いの体温を感じて、互いの存在がすぐそばにいるのがわかる。
……それぞれ、見ている景色は違っても。
過ごしている時間は、一緒だよ。
「なんだか、雨が止んだわね」
「原さんのおかげじゃない?」
「えっ、もしかして原さんに会ったんですか?」
「……して、どうするつもりじゃ?」
もしもう一度、原さんに聞かれたときは。
答えは、たったひとつだとわかった。
「大好きなみんなと、一緒にいます」
……わたしは、海原昴君が好き。
だけど。
誰かの好きまでは、奪わない。
これが、わたしの答えだ。
「……陽子?」
「春香先輩?」
……どうしよう。
そう心に決めた瞬間。
なんか、心の底から楽しくなって。
わたしは背中をくるりと回して。
ふたりを思いっきり抱きしめたくなった。
でも、やっぱりそれはちょっと……。
まだ、刺激が強すぎるよね?
「なんでもないよ」
「それにしては、楽しそうな声ね」
「よ、よかったです……」
それにしても、このふたり。
本当にわたしの心の中、わかっているんだろうか?
まぁいい、わたしたちはこの先もずっと……。
……恋するだけでは、終われない。
ふと、そんな言葉が頭によぎって。
わたしはまた肩を少し、震わせた。
「陽子、また笑っているの?」
「背中だと、わかりにくいですよねぇ……」
「海原君は、顔見たってわからないでしょ?」
「それもそうね、背中だけで十分だわ」
「えっ、ええっ……」
そんなことを、互いの顔を見ずに話しているうちに。
気まぐれな、雨がやんで。
あたりは一気に、蒸し暑さがこみ上げてきた。
「……やっときたわね」
「全員、再集合ですね」
確かに。
みんなが、大きな声をあげながら。
参道の向こうから、走ってくる。
「ねぇ、ちょっと借りるよ」
「えっ?」
わたしは、海原君の手から青柳色の和傘を手に取ると。
いまの気持ちを、少しでも早くみんなに伝えたくて。
「ちょっと、離れて〜」
「うわっ!」
「な、なにするの陽子!」
「みんな〜! ここだよ〜!」
生まれて、初めて。
夏の空に向かって。
笑顔で思いっきり、傘を振り回した。