恋するだけでは、終われない / 告白したって、終われない

第十七話


 ……朝の練習に、なぜか春香(はるか)陽子(ようこ)がいる。
 それが僕には、不思議で仕方がない。

 駐車場の反対側で、きょうは特別大きく。
 高嶺(たかね)由衣(ゆい)赤根(あかね)玲香(れいか)が声を出す。
 合わせて、春香先輩が負けじと声を張りあげると、
「叫ばなーい! お腹に力を入れなさーい!」
 すかさず藤峰(ふじみね)先生が、誰よりもよくとおる声で先輩に告げる。
「はーい!」
「そうそう、そんな感じー!」
 高尾(たかお)先生の声が、伸びやかに響く中で。僕は、つい。
 都木(とき)先輩は、今朝もごはんを作ってくれているのだろうけれど。
 三藤(みふじ)先輩はいったい、どこにいるのだろう?
 そんなことを、考えていた。

「う、な、は、ら、サボるなー!」
 春香先輩が声を出すと、ほかの全員が楽しそうに、同じ言葉を繰り返す。
「う、な、は、ら、サボるなー!!」
 あれ、ひとつ声が増えた気がする……。

 振り返ると、都木先輩が大きく手を振りながら。
 もう一度僕に、サボるなーと大声を出してから。
 朝ごはんの支度ができたと、知らせにきた。


「うわっ、すごっ!」
「まぁっ……」
「これ、本当に朝ごはんなの?」
「シェフが変わると、こんなに……イテッ!」
 最後にいいかけた僕の右足を、踏んづけたのは。
 ……え?
 春香先輩が、まさかね?
 僕は左側の高嶺に向かって、踏むなよ、といいかけるけれど。
「いっとくけど、いまのはわたしじゃないし」
 へ?
 じゃぁ。
 ほ、ほんとに春香先輩が??

「あのさぁ『(すばる)』、感じ悪い!」
 は……?
 い、いまいったのって。
 ハ、ハ、ハ、春香先輩ですよね?
「わたしのご飯じゃ、不満だったってことだよね?」

 都木先輩が、両手で口を塞いでいて。
 高嶺と玲香ちゃんと高尾先生の目が、点になる中。
 藤峰先生だけはわざとらしく腕組みをして、なにやら満足げな表情だ。


「ど、ど、どういうことかかかな?」
 なんとか正気を取り戻しつつある高尾先生が、代表して春香先輩に質問する。

「今後わたしは、海原(うなはら)(すばる)の『姉』になります」
 力強い声で宣言した春香先輩が。
 僕の右腕に両腕をからめると、とびきりの笑顔で僕を見る。
「ね、弟くん?」
 あぁ一見、天使の笑顔だ。
 でも、なにこの背筋が凍る感じって……。
「あぁ、兄弟だから。作り笑顔なんでヨロシク。勘違いしないでね」
 今度はなにその、低い声……。
 いきなり演劇部にでも変わったのか、この先輩?

「え、えっと……。陽子ちゃん?」
「高尾先生、そういうことですよ」
「あ、そそそ、そういうことね……」
 ……って先生。
 納得しないでくださいよ!



「……付き合ってとはいわないよ。『姉』になるとは、いうかもしれない」
 ……確か昨日の夜は、そういってたはずなのに。

 陽子ったら、もう宣言しちゃったの?
 わたしは、またひとつたくましくなった年下の幼馴染に。
 ただただ、驚くばかりだ。

 でも、海原君に誰かが説明してあげないと。
 もちろん『肝心』なことは、さすがにいえないけれど……。
 もうひとつのことさえ、彼は知らないんだよ?
 わたしは小さく一度、深呼吸してから。一歩前に出る。

「もう、陽子ったら。留学やめた途端、ねじでも外れちゃったの?」
「えっ? 留学やめたんですか?」
「……らしいけど、知らなかったの?」
「そんなの、聞いてませんよ!」
「ねぇ『弟分』がそういってるよ、陽子。それで本当に『姉』のつもりかなぁ?」



 ……美也(みや)ちゃん、ありがとう。
 ちょっと急ぎすぎて、順番を間違えてたね。
 年上の幼馴染は、やっぱり頼りになる。
 でももう、悩まない。

 ……わたしは、決めたんだから。

「もう、相変わらず鈍感な弟だなぁ〜。留学やめたの、みんなもう知ってるよ?」
「ええっ……。僕だけ知らなかったんですか……」
 『昴』がなにか、いっているけれど。
 うん、出だしはこれでいい。
「それに美也ちゃん。これは、わたしの弟。『弟分』じゃなくて、弟なの!」
 よし!
 笑顔で、いい切れたと思う。
 そう、これがわたしの決意表明。
「ということで、昴、美也ちゃん、あとみんなも! これからもヨロシクね!」



「…………」
 ……僕は、なにもいえず。
 その場に立ち尽くすしかなかった。
 よくわからないけれど、僕が寝に戻ったあとの、宿坊で。
 きっと何かがあったのだろう。

 すると途方に暮れていた、僕の背中のほうから。
 何事もなかったように、いつもの声が聞こえてきた。
「折角作ったのに、冷めるから食べてもらえないかしら」
 僕が、驚いて振り向くと。
 お玉を持ち上げた格好の、三藤先輩が。
 無表情のまま僕を……。
 ではなくて、春香先輩の背中を見つめている。

「……あ、そうだよね。ごめん月子(つきこ)!」
「……許さない」
「えっ……」
 一瞬、場の雰囲気が凍りついたけれど。
 相変わらず三藤先輩は、そんなことは気にしていないようだ。

「せっかく、ベストのタイミングで作った卵焼きなのに……」
「え?」
「冷めたら、許さない」
「えっ? ……そっちなの?」
 思わず藤峰先生が、声に出す。
「お味噌汁も冷めるじゃないですか。それも許せませんけど!」
 三藤先輩に、重ねていわれて。
 なぜだか、高尾先生までアタフタし出して。
「みんな早く座ろっ! 部長も急いで、号令!」
「は、はい。それじゃあ、いただきます!」
「いただきます!」
 そう、唱和して。
 この場はどうにか……。
 三藤先輩が、爆発せずに収まった。



 ……海原くんが、おいしそうに食べてくれてよかった。
 だから、それに免じて。
 先ほどからチラチラと、わたしのようすをうかがっている陽子に。
 わたしのいまの気持ちを心の中でだけ、教えてあげる。

 予告なく『昴』と呼び捨てにされたのは、不愉快だ。
 由衣さんみたいな距離の取り方ができたのも、不愉快だ。
 『姉』というポジションにいきなり収まったのは、正直理由がよくわからない。
 でも、でもなにより許せなかったことがある。

 今朝のご飯は、わたしが海原くんにこの夏『初めて』作った、ご飯だったのに。
 陽子、あなたに主役を奪われたのが、許せない。

 海原くんが、お味噌汁のおかわりをしようと席を立つ。
 わたしが慌てて、よそいにいこうとしたのだけれど……。
「アンタよりわたしが先!」
「由衣ちゃん、年上に譲ろうよ!」
「玲香ちゃん、それなら先生が最初かなぁ〜」
「ちょっと佳織、大人げないよ!」

 ……ほんとにもう、みんな子供なんだから。
 そう思うと、もう。
 自分の怒りがなんだか、とても心の狭いことに思えてきた。



 ……よかった、月子。
 いま、少しだけ笑ったよね。

 いきなりでごめんなさいと、あとでしっかり謝ろう。
 親友同士でも、ケジメはつけないとダメだよね。

 でも、わたしわかったことがあるんだ。

 あなたは、わたしが彼に恋したなんて。
 微塵にも思ってないんだね。
 それどころか、ひょっとしたら自分自身の気持ちさえ……。

 女の子に鈍い男子と、女心に鈍い女子かぁ。

「陽子、いまなにか失礼なこと考えていない?」
「へっ? ないない! 気のせいだよきっと」
「そうだといいのだけれど……」
 月子が接近していたのに。つい、うっかりしていた……。


 さてさて、『姉』として。
 わたしはいったい、誰を応援したらよいのだろう?

 なんだか、これはこれで。
 当分イバラの道が続きそうだ……。


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