恋するだけでは、終われない / 告白したって、終われない
第四章

第一話


 二学期の、初日。

 僕が、駅舎に入る直前。
 赤根(あかね)玲香(れいか)の明るい声が、背中に届く。

「おはよ〜、(すばる)君!」
 いつもどおりの、その声に。
 返事をしようと振り返ると……。
「お、おはよう……」
「なになに? どしたーどしたー?」
 早朝にも関わらず、太陽はまだまだギラギラと。
 容赦なく、夏の光線を浴びせてくるけれど。
 目の前の玲香ちゃんの光線も、これまた……。
 僕にはまぶしい。

「おはよう海原(うなはら)くん。と……玲香さ……」
 ひとつ前の駅から乗っていた三藤(みふじ)月子(つきこ)が、言葉の続きをはばかる。
 次の駅のプラットフォームで、笑顔で僕たちに手を振っていた高嶺(たかね)由衣(ゆい)が。
 その大きな目を、ギョッと見開いて……。

 四人のボックスシートで、三人が玲香ちゃんに注目したまま。
 そのまた次の駅を出てもなお、話せずにいる。

「もう! いつまでみんな無視するの!」
 ……ついにたまりかねて、本人が。
 ひとりひとりの顔を覗き込みながら自己アピールをはじめ出す。
「清楚系ショートボブ、どうどう?」
「……スカート丈が、長くなったわね」
「ヘアスタイル、どうどう?」
「……靴下の長さまで、変わってる」
「髪切ったんだけど、似合うかなぁ!」
「……制カバンだけは、僕たちと同じになったんだね」
 一年生の高嶺と僕は、今年度からの新しい制服で。
 転入生とはいえ二年生だから、玲香ちゃんは旧制服。
 でもどうやら制カバンは、一年生のそれと同じになったらしく……。

「だ・か・ら! 『見た目』の解説はいいから、『中身』だよ中身!」
 ……なんだ。玲香ちゃん自身も混乱しているらしい。
「中身なら、一緒だよ」
「えっ?」
「そうね、なにも変わっていないわ」
「ちょ、ちょっと……」
「ほんと、玲香ちゃんのまんまだね!」
「う、ウソ〜!」


 そのあと、『放送室』で。
 ひさしぶりに会った春香(はるか)陽子(ようこ)都木(とき)美也(みや)のふたりが。
 ニコニコしながら、やさしく玲香ちゃんを慰める。
「外見変えても、中身は玲香ちゃんでしょ?」
「そうそう、聞きかた間違えただけだよね〜」
「やっぱり、誰もかわいいとかいってくれないし!」
 そうやって玲香ちゃんがまだ、駄々をこねていると。

「おはよう! 今朝もみんな絶好調ね!」
 顧問の藤峰(ふじみね)佳織(かおり)が、勢いよく部室の扉を開く。
「先生!」
「うん、おはよう!」
 玲香ちゃんが、祈るような顔で先生を見つめる。
「先生!」
「なに?」
「だから先生!」
「おっ、制服が新しいね!」
 ……ダメだ、乙女心なんて。とっくの昔に、枯れ果てているのだろう。
「ねぇ? まさかいまさ。なんかいった?」
 藤峰先生が、低い声で僕を刺す。
「いえ、なんでもありません……」


「もう佳織。出ないなら、教えてよ〜」
 えっ? 新しい職場の勤務初日のはずでは?
 今度は副顧問の高尾(たかお)響子(きょうこ)が、貫禄たっぷり。
 いや、サボる気満々みたいな顔で現れる。
「海原君、ちゃんと『会議の前に』ご挨拶してるからね〜」
「いや、そうじゃなくて。この時間、そのまま職員会議ですよね?」
「なに? それがどうかした?」
 ダメだ、二学期も常識が通じない……。

「ねぇ! 響子先生!」
「うん、髪切ったね!」
「キャ〜!」
 玲香ちゃん、よかったね。
 いま高尾先生、絶対適当に答えただけだけど。
 それでも涙を流しそうに喜んでいる。

「……あのさ、海原君」
 ゲッ……。今度は高尾先生の低い声がする。
 また、聞こえちゃったのか?
「美容院紹介したの、わたしだから」
 そ、そうなんだ……。高尾先生の、オススメの店だったのか。
「誰か紹介したら、次回3000円引きなのよ……」
「そうなんですか!」
 三藤先輩のつぶやきに、高嶺が反応している。
 なるほど。1000円カット、三回無料か。
 最近は、値上がりしているけれど。それでも二回無料でお釣りがくる。
「あのさ、海原君……」
 なぜか高尾先生と玲香ちゃんが、揃って僕を冷たい目で見る。
「1000円じゃないから!」
「割引って金券じゃないから! 女のプライドなめないで!」
 あと、ついでに周りのみなさんも。
「アンタってほんと、女子高生の敵」
「うちの『弟』、時代遅れだね」
「小説の設定上、私立校よ。少々見栄を張ることもあるわ」
「さ、さすがにわたしも……。フォローはしにくいなぁ……」
 好き放題、僕にいってきて。
 でもあれ、藤峰先生だけはやさしいのか?
「ねぇ、あと何人か紹介したら。無料券もらえるかな?」
 あ、あれは……。
 みんなを美容院に送客して、儲けようとしている顔じゃないか……。



 ……さて、と。
「そろそろ終わるし。ちょっとくらい、顔出そっか?」
 そういって、会議に戻った先生たち以外のみんなで。
 始業式の準備に、講堂に移動する。
 このために早起きしたのだ、美容室のためではない。
 みんなで手早く、機器室の準備を整えると。
「いってくるね!」
 明るい声をあげて、講堂のステージの中央に都木先輩が向かう。
 ほかにも高嶺が、最後列中央の座席。
 玲香ちゃんと春香先輩が、中央列左右にそれぞれ走って移動して。
 機器室の音響調整卓を三藤先輩が操作し、隣の僕に準備ができたと合図を出す。

 インカムを通じて、都木先輩にマイクテストをお願いすると。
 なぜか先輩がこちらを向いて、少しほほえんだ。
「ねぇ海原君? ホール内だけだよね?」
「ダブルチェックします、廊下、そのほかスピーカーオフです」
 都木先輩は僕に右手で、了解のサインを出すと。
 一呼吸置いてから、壇上のマイクに向かうと……。

「……お祭りではみんな、ごめんなさい」
 えっ?
「今後は、陽子と同じく。『姉』となって部長を支えます!」
 ちょ、ちょっと!
「引退まであと少しですが。二学期も、楽しもう!」


 ……予告なく訪れた、宣言に。
 みんなが、驚いてその場でフリーズしてしまう。

 呆然と、立ち尽くしている僕を。
 三藤先輩が指で、ちょこんと背中を押す。それにつられて、僕は。
「……と、都木先輩。い、いまのはなんですか?」
 なんとか、声を出す。
 先輩の表情が、一瞬だけ迷った顔に見えたのは。
 僕の気のせいなのかもしれなくて。
「海原君、それをわたしに聞く?」
 先輩はほほえみを添えて、僕に逆に質問してくる。
「だって都木先輩、自分からそんなこといわなくても……」
「『そんなこと』って。どんなことかな、昴?」
「えっ……?」

 機器室の窓から見える、ステージ中央で光を集めるその人は。
 僕の顔を、まっすぐに見つめたまま。
 もう一度、ニコリと笑うと。
「以上、マイクテスト終了です!」
 そう気持ちよさそうに、口にすると。
 ペコリと、お辞儀した。


 パチパチパチパチ……。
 春香先輩がひとり、手を叩く。

 玲香ちゃんと高嶺が、同時に。
「それでいいんですか?」
 インカム越しに、大きな声で聞く。



「……いいんだよ、ね!」
 ……陽子先輩が、先に答えて。
「え? ……う、うん!」
 美也先輩のその返事を、聞いたとき。
 わたしはふたりの『覚悟』に、まだ『差』があるとわかった。

 アイツと程よく離れた距離で、ステージを見つめていた月子先輩と。
 たまたま機器室のガラス越しに、目が合って。
 わたしは少し、それを逸らされたと感じた。

 でも不思議と、それは不快ではなくて。
 むしろ月子先輩が、少しだけ。
 わたしに対しても、なにかと『意識』してくれているかもしれないと。
 妙だけどなんだか、うれしかった。



 ……由衣さんに、見られた。
 とっさに視線を外してから、わたしはどうして外したのかを考える。
 美也ちゃんが乱し始めた、『なにか』が。
 わたしの中で『なにか』を動かし始めている。
 そう思った矢先に、美也ちゃんはどうして。
 『そんなこと』をいったのだろう?
 わたしの迷いを、見られたのだろうか?
 それに由衣さんは、きっと。
 わたしより、『なにか』を知っている。

「え、なになに? なにこの舞台? 題名とかあるの?」
 突如、響子先生の声がして。
「ちょっと。静かにしていないと!」
 佳織先生の声も、インカムから聞こえてきた。
「ちょっと海原くん。インカムの個数くらい覚えておいてよ!」
 美也ちゃんの代わりに、わたしが慌ててそういったのに。
「うそっ、どこから?」
 もう、美也ちゃん。
 わざわざ聞かなくてもいいのに……。
 そんなの、全部に決まっているじゃないですか……。

「『自称・姉』が、勝手に増えたみたいです」
「えっ、月子?」
「わたしが決めた題名ですけど?」
 美也ちゃんが、苦笑いをしてわたしを見る。
「うわっ、月子先輩って容赦ない」
「由衣さん、聞こえているわよ」
「月子ちゃん、コワッ」
「玲香さん、それも聞こえているわ。わざといわないで」
「全員、ステージに集合よ」
 もう、マイク越しじゃ面倒よね。
 美也ちゃん。大切なことは、みんなの前で伝えてよ。


「本当に、『姉』になりきれますか?」
 やっぱり。ステージの上で、美也ちゃんは。
「えっ? 聞こえない!」
 そういって、わたしの質問から逃げ出して。
 わたしたちの横で、海原くんは。
 ……もっと、聞こえないフリをしていた。



 ……このとき。

 一連の、僕たちのやり取りを。
 密かにあけた扉から、ずっと聞いていた人がいた。

「……こんなの、許せない」
 そうつぶやいた、旧制服の女子が。

 風を切る音で、僕たちの声を振るい落とそうと。
 教室まで、全力で走っていたなんて。

 あのときの僕たちは、誰一人として。
 気がついては、いなかった。 


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