恋するだけでは、終われない / 告白したって、終われない
第七話
「……海原くん」
こ、この声は……。
「いま、いいわよね」
ひ、ひじょーに、マズイやつですね……。
三藤月子に、うながされ。
一年一組の廊下の隣にある、非常用扉をあける。
一瞬、太陽の熱気があがってきたけれど。
先輩の側から、真冬の冷気がガンガン流れてくる。
三藤先輩は、左手でその黒髪をサッとうしろに一度ながすと。
目の前で腕組みをして、じっと僕を見る。
「いったい、どういうことかしら?」
これは絶対、波野姫妃のことだよなぁ……。
最近少しは僕も、察しがよくなったと思う。
無駄にあがいても仕方がない。
はい、正直に話します。
「……お昼休みにもう一度会ってくれと、頼まれました」
「えっ?」
「いえ。なので、きょうの昼休みに、と……」
いいかけた僕を、三藤先輩が遮ると。
「わたしは今朝。学年差カップルが誕生した、と小耳に挟んだのだけれど?」
「へ?」
「海原くんではないだろうと、『念のため』確かめにきたつもりだったのに……」
「えっ?」
「そうね。どうやら事実だったようね……」
「ちょ、ちょっと先輩!」
「だってそうでしょう! 『今後も』お昼を共にする仲になっているなんて、思ってもいなかったわよ!」
珍しく、三藤先輩の声のボリュームが。
一気にふたつほどあがっている。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
僕は、慌てて。
「誤解ですよ! それはあくまで周囲の感想であって。僕はただ、朝の話しの続きがあるから聞いてくれと……」
「それで?」
「だから昼休みに『もう一度』会えと、一方的にいわれただけです!」
「……周囲の感想ということは。そう見えた、という意味じゃないかしら?」
「え……。だってまともに話したの、今朝が初めてですよ!」
「本当に? 証明できる?」
「ええっ?」
ふと、三藤先輩が我に帰ったような顔をする。
おまけにあれ……? 耳が。両耳が、赤くありません?
「……授業なので、帰ります」
「へ?」
「先生がいるから、帰ります!」
カンカンカンカンと、靴音を響かせながら。
せわしなく非常階段をのぼる先輩のうしろ姿を、ポカンと見送っていると……。
なんだか、確かに背中に視線を感じてきた。
「あーら。また海原君は、悪い子だよねぇ〜」
「ふ、藤峰先生?」
「ちょっと背伸びでもしようと思ってきたらねぇ。お熱いことで……」
「いえ、そんなんじゃないんですよ! 誤解ですから!」
「え〜、なんのこと〜?」
僕が、もう一度いい返そうとしたとき。
非常扉が、『ガタン!』と開くと。
「ふたりとも、サボらない! 授業のチャイム鳴りましたけど!」
高嶺が、僕たちに向かって。
……容赦なく、吠え始めた。
「……遅刻だよ。どこいってたの?」
少し息を切らせながら、月子がやっと帰ってきた。
「ちょっと、下」
なんなのもう。『下』って、やっぱり昴のところだよね?
英文を板書していた響子先生が、チラリとわたしたちを見る。
口元が笑ったの、見えちゃいましたよ先生?
……部活の時間は、ともかく。
なにかあればすぐ、一階まで降りちゃうんだから。
ただでさえ、あなたは目立つのに。
制服の違う一年生の廊下にいったらもう、なんというか……。
「学年差カップル誕生!」
そう、そんな風にしか見えないよねぇ、まったく。
……前の休み時間に男子の会話の中で、そんな台詞が聞こえてきた。
「しかも、あの演劇部の『姫妃姫』だってよ!」
「え? でも姫妃姫って誰とも付き合わないんじゃ……」
「俺も昔、振られたヨォ……」
玲香ちゃんを、囲みながら。
仲良くなったバスケ部の子たちや、ほかの女子が。
「まったく……。男子ってこれだからさぁ〜」
そんなふうに、あきれ気味に話している。
とはいえ、聞こえてしまったその子たちも。
「でも波野さんって、ぜんぜん恋愛とか興味なさそうなのにね?」
「劇団目指してるんだっけ?」
「芸大じゃなくて?」
「うーん。とにかく演劇命、みたいな子なのにねぇ〜」
そうやってしっかり、ちゃんと恋バナで盛り上がっている。
「でも、その三年生も念願かなったみたいな感じで。よかったね!」
「え、赤根さん?」
「もう、玲香でいいってばぁ!」
「じゃ、じゃぁ、玲香……。その男子、一年生だってよ」
「えっ! そ、そうなの?」
「うん、年下らしいよ。名前までは知らないんだけど。誰か聞いた?」
「聞いてなーい」
「あとで五組の子に、聞いてみよっか?」
「玲香なら、波野さんに直接聞けちゃいそうだけどね?」
「い、いや〜。そこまで他人の恋愛に、興味ないよ〜」
……すると、隣で本を読んでいた月子から。
昴曰くの『藤色の炎』みたいなものが、わたしにも見えた気がした。
い、いや。
別に、昴とは決まったわけじゃないし……。
でも、なんだか。
『誰とも付き合わない』とか、『みんな振られた』とか。あと、『年下の男子』?
それだけ、心当たりのあるフレーズが並んじゃうと、つい……ね。
……まぁ、単なる誤解だったんだろうけれど。
それにしても、月子。
いったい『下』で、なにを話してきたのかな?
……い、勢いで。
つい口にしてしまった……。
わたしは、先ほどの海原くんとの会話を。
頭の中で、何度も何度も繰り返す。
「だってそうでしょう! 『今後も』お昼を共にする仲になっているなんて、思ってもいなかったわよ!」
あぁ……。
「本当に? 証明できる?」
あれでは、まるで。
わたしが、海原くんと『なにか』あるみたいじゃない……。
海原くんは、嘘をついていない。
いや、彼が嘘をつくはずはないし。
そもそも学年差カップルなんて、その辺に落ちてるものでもないのだから。
きっと誰かの、勘違いのはず。
「いったいなんの話かしら?」
「ご、誤解ですよ!」
そんな程度の、軽い話しで終われたはずなのに。
お昼休みに、もう一度会う?
そんな……。
いったいどうして、そんなことになっているの?
……もう。
なんだか頭の中が、どうにかなりそうだ。
「……おーい、かえってこ〜い」
気がつくと、目の前で響子先生がテキストを振っている。
「みんなもう、演習問題はじめちゃってるわよ〜」
声は素っ気ないけれど、目は笑ってくれている。
「まぁ、ちゃっちゃと終わらせて。妄想はそのあとお好きなだけどうぞっ!」
あぁ、わざわざ、耳元でささやかれた。
先生絶対、からかっていますよね!
……お昼休みまであと、二十五分。
教室棟の、一階と三階で、
同じ、右最前列廊下側の席に座るふたりが。
このとき、まったく同時に。
大きな大きな、ため息をついた。