恋するだけでは、終われない / 告白したって、終われない

第八話


 昼休みを告げる、チャイムと同時に。
 いっそ学校から、脱走しよう。
 そう心にもないことを、思ったけれど。

 ……肝心の授業が、終わらない。

 あぁ。
 よりによって、きょうに限って。
 なんでわざわざ、藤峰(ふじみね)先生の授業なんだ……。
「ブ、ブリオッシュとフォカッチャをマクハーで食べます」
 指名された山川(やまかわ)が、黒板の前でぎこちなく。
 もう五回目の音読をし終えて、固まっている。
「フランスの菓子パン、イタリアのパン! ほら、これが最後のヒント!」
 先生が、ブなんとかとフォなんとかが書けるようにと、粘るけれど。
 英文法の授業ですよね、これ……。
 そんな単語、正しく書ける必要あるんですか?

「ぶ、ブカレスト?」
「えっと、ブリオッシュ」
「ブダペスト?」
「うーん、ブリオッシュ」
 山川が、意外に世界地理が詳しいことだけはわかった。 
 ただ、おかげで先生が。
「あぁ、ハンガリーとルーマニアね。なるほど〜」
 僕の地図帳を、チョークまみれの手で持って。
「ちゃんと覚えときなよ、海原君!」
 そういいながら、勝手に期限の切れたパン屋のポイントシールをはっている。


「先生。マクハーがやっぱり、英和辞典に載っていません……」
 ヘルプに指名された女子が。困り果てた顔で、僕を見る。
「うーん、アラビア語でカフェって意味なんだけどねぇ〜。難しかったかぁ〜」
 あぁ、先生は絶対、アラビア語が話せるんじゃなくて。
 どこかでこの変な例文を、拾ってきただけだ。
「マクハーのスペルは、忘れたから海原(うなはら)君調べといてね」
「えっ?」
「先生、お、俺は……」
「山川君は、パン屋にいって聞いてきなさいよ。明日提出ね、はい授業終了!」
 結局五分オーバーで、授業が終わる。


「授業中から、アンタ落ち着きないよ。トイレ?」
 あのなぁ、小学生じゃないからさぁ……。
 隣で高嶺(たかね)が、とぼけたことをいうけれど。
 ひょっとしたらコイツも、数分後には鬼になっているかもしれない。

「遅くなった、急ぐよっ!」
 放送室にいく気満々の高嶺が、声をかけてくる。
 そうだよな、お前は一刻も早く到着して。
 三藤(みふじ)先輩のおかずを、誰よりも早く確保したいんだもんな……。
「な、なぁ高嶺……」
「どした? やっぱトイレ?」
「えっと……」
「あ、いたいた。海原くーん」
「えっ……」
 なぜか三組の女子が、廊下から声をかける。
姫妃(きき)先輩がね、食堂で待ってるね、だって〜」
「あ、ありがとう……」
 三組の子と、あの先輩がどう繋がるのかはわからないけれど。
 あぁ……。
 高嶺に聞かれた、万事休すだ……。


 ……予想どおり僕の隣で、アイツの大きな目が点になって。
 それから、普段の何倍も大きくなった気がした。

 カチ、カチ、カチ。
 処刑台へのカウントが始まった……はずなのに?

「キキ先輩って。……えっ? まさか……波野《なみの》姫妃《きき》?」
「へ?」
「え、まさかアンタ! 知り合いなの?」
「は?」
「ウソぉ! すごいじゃん!」
 ……高嶺の目が、うつろ、じゃなくて。
 目線は、教室の天井の染みを見ているはずなのに。
 なぜだかともて、キラキラしている。
「ほら。去年、一緒に観たよね!」
「そ、そうだっけ?」
 な〜んにも。き、記憶にないんだけれど……。
「学校見学がてらの文化祭でさ。ほら、舞台でお姫様やってた!」


 ……あぁ、なんだかコイツに。
 無理矢理連れていかれた、文化祭か。
 ここであえて、復習を兼ねて説明すると。
 コイツと僕は、同じ私立中学出身で。
 大抵の同級生は隣にある『本校』に進学する。
 ごくごくたま〜に。
 同じ学園が経営する、我らが通称・『丘の上』に進学して。
 結果、奇跡的に僕たちは。四年も連続して同じクラスに所属しているのだ。

 ……そして、あのときは。
 確かここ、『丘の上』の文化祭実行員が。
 なんでも、前売の金券が売れずに困っていて。
「ねぇ、模擬店なんでも半額になるよ!」
 そういって、僕がランチを買おうと手にしていた五百円玉を強奪して。
「ふたりで千円! これで二千円も食べられるぅ〜!」
 そうやって喜んでいたアレだ。

 コイツみたいなヤツが、『本校』の文化祭の金券と勘違いして買って。
「なにこれ! バス代考えたら全然得じゃないんだけど!」
 そうやって使わないことを想定した、ある意味で完璧。
 実際はエゲツナイ発想の、金券だ。
 ……ん?
 もしかして。
 今度、委員会の資料を調べないと。
 ……僕は、ひょっとしたら。
 去年の文化祭担当に『藤峰(ふじみね)佳織(かおり)』の名前がないかどうか。
 念のため、確認しなければならないと思った。


 ……で。
 もったいないから使うんだと、連れていかれた、あの文化祭か。
「ステージでさ! めっちゃくちゃ可愛かったよねぇ〜」
 ん?
 むさ苦しい感じの男子たちの塊が、大勢で演歌を熱唱していて。
 お前が、ぶんぶんタオルを振り回していたことしか、覚えていないけど……。
「いやそれ。次のバンドのときと、ごっちゃになってるだけだよ〜」
 いつもなら、間違えたら噛みつかれそうなのに。
 いまのコイツの頭の中には、お姫様しかいないらしい。
「で、なに? 文化祭のステージの相談? やっぱ熱心なんだねぇ〜」
 も、もしかして。
 まさかのコイツが、救世主なのか?

「……な、なぁ高嶺」
「ちょ、ちょっと!近いから!」
 いつもと逆の展開だが、ここは勢いだ。
「廊下に出よう」
「う、うん……。どのみち部室いくから出るけど……」
 隣で、山川がジト目でなにかいいたげだったが。
 それを放って、そのまま廊下に出てしまって。

 ……随分経ってから、思い出した。
 約束の『カレーパン』、すまんかった!



「……なわけないでしょー! 月子先輩ぶっ飛びすぎ〜」
 実際、高嶺は救世主だった。
 何色なのかはわからないけれど、キラキラしたお姫様が頭の中で回っていて。
「ないない! アンタがあのお姫様となんてありえない!」
「そ、そうだよな……」
「もう、地球が一日一万回まわってもない!」
 おい、大丈夫か?
 ち、地球は……。
 一日一回だけしか回らないはずだけど……。

「舞台の相談だって、わたしが説明しとくからさ。いっといで!」
 ……うーん。
 なにかが、釈然としないけれど、
 ここは救世主に任せておこう。
 ひょっとしたら、一回くらいなら。
 三藤先輩だって三日? 一週間? まぁできれば、明日には……。
 許してくれるかも、しれないし。


「今度、絶対紹介してよ!」
 中央廊下で、ブンブンと腕を回しながら。
 アイツはご機嫌に、放送室に向かう。
 他人のものだし、胃のなかに入れば一緒だけれど。
 僕は、何回転もしたあのお弁当箱の中身が、無事なのだろうかと。
 余計なことながら心配になった。
 

 ……さて、こうなれば仕方がない。
 覚悟を決めて、食堂へいこう。

 こうして、僕は。

 悲劇の舞台へと。


 一歩一歩。
 自ら、着実に近づいていった。


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