恋するだけでは、終われない / 告白したって、終われない

第九話


 教室棟の、長い廊下を抜けて。
 食堂へ向かうために、玄関ホールをとおり過ぎようとすると。
 下駄箱の影から、波野(なみの)姫妃(きき)がひょこんとあらわれた。

「授業が遅かったんだね。もうきてくれないかって、姫妃心配したよー」
 あの……その上目遣いは。
 いったい、どんな演技なんですか?

「じゃぁ、いこっか?」
「へ?」
 下駄箱に視線を、動かすと。
 波野先輩と僕。
 すでに『ふたり分』の靴が、並べてある。
「お履き物、ご用意させていただきました」
 今度は……。ここは、旅館なんですか?
 彼女が、うやうやしくお辞儀をすると。
 例の『お団子』が頭に見える。
「わざわざ、外に出るんですか?」
「うん! お・そ・と・で・話そっ!」
「ええっ……。暑くないですか?」
「だって、秘め事だよ。ふたりの」
 もう、いったいなにがしたいんだか……。

 先輩は、そのあとは軽い足取りで。
 それに連れられ、僕たちは並木道を見下ろす、裏道へと進んでいく。
 ここにくるのは、なんだかとてもひさしぶりで。
 実は途中に、点々とベンチが置いてあることに、
 僕は初めて、気がついた。
「えー、残念ながらあいにくの暑さで誰もおりませんが〜」
 今度は、マイクを持つフリをして。
「この先、ぐんと気温が下がって人恋しい季節になりますと。なんとこの裏道は……。カップルたちの、隠れた人気スポットになります」
 先輩が、ちょっとだけワクワクしたような顔で僕を見る。
 あぁ、なんのつもりか当てて欲しいのか。
 じゃぁ、これは多分……。



「……バスガイド?」
 ……予想しない、彼の答えに。
 わたしは思わず、転びそうになった。
 後輩君の顔を、ちょっと不満げに見ると。
 どうやら不正解だと、気づいたみたいたいだけど。
「もしかして! 観光列車の語部《かたりべ》ですか?」
 ごめん、わたしには意味がわからない……。

「違うよ、レポーター!」
「あぁ!」
 ……そうやって、そっちか!
 みたいなリアクションを期待していたのに。
「はぁ?」
 なにその、気のない返事?

 まぁ、乗り気じゃないのは知ってるけれど。
 このわたしに誘われてんだから、少しは張り切ったらどうなの?


「もういい、座ろっか?」
「へ? ここですか?」
「ダメなの?」
 なんなのもう! 調子狂うなぁ。
 そう思ってわたしは、やや乱暴にベンチに腰を下ろしたのだけれど。
「あ!」
「きゃっ!」
 なに、いまの? 虫じゃないし?
 自分の身に起こったことの、意味がわからず。
 わたしはこわばった顔で、彼を見る。

「……鉄枠が、暑さで熱くなっているんですよ」
 後輩君は、わたしにそう解説すると。
「晴れている日は、特に気をつけないと。先輩は女子ですから、生足じゃなくてスカートが当たるように座ってください」
 一応、女性扱いはしてるみたいなのはわかった。
 どうも、ありがた〜いアドバイスだけどさ。
 そういうの、座る前に教えてよ!

 それから、彼は。
 わたしの、不満げな表情くらいは気づくのか。
 なんだか真面目な表情で、わたしを見る。
「あの……」
「なに?」
「火傷してないか念のため、確認したほうがいいんじゃないですか?」
 おおっ、意外と大胆。
 もっともらしいことを、いうくせに。
 な〜んだ。このわたしの、太ももを見たいんだね?

「反対側を向いていますんで、終わったら教えてください」
 ところが、この男子はそういうと。
 本当に反対を向いたまま、動かない。
 いやいや、わたしが油断したら振り向くんでしょ?
 でも、そんな素振りはちっとも見せないもんだから。
「……もういいよ、こっち向いて」
 結局、わたしのほうから。
 声をかけてしまった……。


「特に、火傷してなかったよ」
「あぁ、よかったです」
 まさか本当に、心配してくれていたの?
 わたしが戸惑って、どう返事しようか考えていたら。
 今度は、いきなりアタフタし始めて。
「なんだか、怒っているのって……。もしかしてさっきの『生足』って表現が、よくなかったんですか?」
 なにそれ……。
 そこなの、聞くところ?



 ……よくしゃべったり、無言になったりと。
 なんだか忙しい人だ。
 波野先輩は、そのあと小さく笑うと。
海原(うなはら)君って、やさしいんだね……」
 初めて聞く声色で、そう告げた。
「火傷チェックとかいって、わたしのスカートめくる口実かと思ったら……。ホントにずーっと反対向いてるなんてさ。なんか変」
 今度もその音色に、変わりはなくて。
「え? 変なんですか?」
「変だよ、変。なんか変だよ」
 やたらと『変』だと、繰り返した。

「……いわれたとおりに座ったら、熱くなかったよ。はい、海原君も座って」
 その笑顔は初めて、演技ではないもので。
 そんなふうにできるなら、いつもそのままでいいんじゃないかと。
 思わずそう、僕は考えた。


「……お昼ごはん、食べようか?」
「もちろんです。僕もいただきます」
「海原君は、パンふたつだけで足りるの?」
「いえ。いつもは部室で食べるので、おかずをめぐんでもらえ……」
「ごめん! この話題はストップ!」
 なにか余分なことをいって、気に障ったのだろうか?
 あがっていた顔が下がり、『お団子』だけが視界に入ってくる。

 近くの木で、クマゼミがまだ鳴いている。
 そうだ、話題を変えよう。
「この時期にクマゼミが鳴くなんて……」
「ちょっと待って! 食事中に昆虫の話しされるのは苦手」
「す、すいません……」
 あぁ、また余分なことを……。
 反省する僕など気にせず、クマゼミは近くでひたすら自己主張を続けている。

 ……その、セミにも見捨てられて。
 周囲が少し静けさを取り戻した頃。



「……ごめんね」
 わたしは小さく、彼に詫びる。
 わたしのことを、心配してくれたのに失礼なこといったり。
 しゃべるなって、わがままいったり。
 そもそも、お昼を邪魔したりして……。

「もう、だからぜんぶあげる!」
 わたしはそういうと、自分のお弁当の蓋に、おかずをどんどん並べ出す。
「え、ちょっと、先輩!」
「まだ口つけてないから、平気!」
「いや、そうじゃなくて。あ、あぁ〜」

 もう、だから先に教えてよ!
 わたしが慌てていたせいで、ベンチの微妙な場所にあった蓋が傾いて……。
 おかずがすべて、地面に落ちてしまった。

 ……わたしの見せかけの善意は、彼には届かない。
 そう思って、悲しい気持ちでおかずを見つめていると。
「そんなに食べたかったのに、わけてくれようとしていたなんて……」
「えっ?」
「も、もったいないんで。拾って食べます!」
「ダメ! 地面のはダメだよ!」
「で、でも……」

 ……やっぱり、この彼はちょっと『変』だ。
「あのね! 食べたかったんじゃなくて、わけてあげたくなったの!」
 あれ? そんな……。
 こんなつもりじゃ、なかったのに……。
 わたしは、当初彼に近づいた演技など忘れて。
 わたしの思いを、理解してもらおうと。
 このとき、自分でも驚くほど。
 素直で、必死だった。



「……ご飯だけに、なっちゃった」
 ……そういって肩を落とす先輩に、僕は。
「いや、がっかりするにはまだ早いです」
 そう伝えて、手元のパンの袋を見せる。
 不思議そうな顔をした波野先輩は、僕が両手に持ったそれを見ると。
 おかしそうに笑い出した。

「このカレーパンの、カレーをどうぞ。なんちゃってカレーライスになります」
「いやだ! ふりかけあるから、い〜らない〜!」


 ……食べ終えたものを片付けると、もうほとんど昼休みは残っていない。
「きょうは、ありがとう」
 帰り道、波野先輩が穏やかな声で僕に告げる。

「……いえ、せっかくのおかずを無駄にしてごめんなさい」
 それを聞いた、彼女は。
 なぜか突然早足で三歩進んでから、振り返ると。

「食べ物を大切にするのは、いいんだけどさ!」
 そこまでは、はっきりした声で。
「おかずが主役なのは、ちょっと違う……」
 そのあとの、言葉は。
 なぜだか最後になればなるほど、小さな声になっていった。



 ……玄関ホールに戻り、それぞれの下駄箱で靴を履き替える。
 よし、これで約束は果たした。
「あ、あのね……」
「はい」
「放課後って、なにしてる?」
「部活です」
「帰りは?」
「部活の続きみたいなのが、降りる駅まで続いています」
「明日のお昼は?」
「いつもお昼は、部室です」

 ……多分これで、話しも終わりになる。
 そう、思ったのだけれど。

「ねぇ海原君? ……部活って、そんなに大切?」
 思いがけない質問に。
 僕は一瞬、答えに詰まってしまった。

 大切?

 ……それだけで、足りるのだろうか?


 言葉が足りなくても。
 気持ちは伝わって欲しいと思い、僕が答える。

「もう、体の一部みたいになっちゃった、みたいな感じですかねぇ?」

「なにそれ?」
 あぁこれはきっと。
 また『変』だねと、いわれるかと思ったのに。


「……そっかぁ。ちょっとうらやましい」
 そう答えると、波野先輩は。
 少しうつむいて、黙ってしまった。


 ……聞いてもいいのか、少し迷った。

 聞いたらまた、ややこしくなりそうだけれど。


 ……つい知りたいと、思ってしまった。


「波野先輩は、どうですか?」


 やっぱり、僕は空気が読めなかったようで……。

 彼女は、うつむいたまま。
 食堂帰りの生徒たちから隠れるように、並んだ下駄箱の陰に移動すると。
 そのまま、人の波が静かになるまで。
 そこから動かなくなった。


「急に、ごめん」
「い、いえ……」
「待ってくれてありがとう。あとやっぱり、ごめん……」

 そういうと、波野姫妃は。
 僕の視界から、走って消えていった。


 ……わずかでは、あったけれど。

 そのとき一瞬だけ見えた、瞳にためた涙は。


 決して、演技ではない。
 そう僕に、訴える涙だった。


< 45 / 51 >

この作品をシェア

pagetop