恋するだけでは、終われない / 告白したって、終われない

第十話


 帰りのホームルームが終わり、高尾(たかお)先生が廊下へ出た瞬間。
 机から立とうとした僕の背中に、激痛が走る。

「グェッ!」
 同じように、帰りかけていたクラスの女子数人が。
 その声に驚いて、僕を見る。
「だ、大丈夫海原(うなはら)? どこか痛いの?」
 『女優』になった、高嶺(たかね)由衣(ゆい)が。
 極めてわざとらしく、心配そうな声を出して近寄ってくる。
「ちょっとカバンに、勢いがつきすぎただけだから」
「えっ……」
「あ! あとはわたしが()とくから、みんなまた明日〜!」
「う、うん。またね〜」
「ほんと。高嶺さんって、やさしいよねー」
「海原君って、おっちょこちょいなのかな?」
 どうしてうちのクラスの女子は、人を見る目がないのだろう……。
 高嶺は加害者、僕は被害者なんですけど……。

「じゃ、お疲れ」
 山川(やまかわ)(しゅん)だけが、真実を知っているけれど。
 乾いた声で、その場を離れる。
 カレーパンの……。
 カレーパンの恨みだよな、きっと……。


「……で、どうだった?」
 謝る気など一切ない高嶺が、ワクワクした瞳で僕を見る。
「それより、どうだった?」
 僕は逆に、三藤(みふじ)月子(つきこ)の怒りのボルテージしか興味がない。
「アンタが先」
 訂正だ……。
 コイツには勝てそうにないので、さっさと終わらそう。
「普通だった」
「は?」
「だから、普通が一番よかった」
「アンタ、『あの』波野(なみの)姫妃(きき)に会ったんだよ? 感受性とかついてないの?」
 いったいそれは……。
 耳とか鼻みたいに、体から出っ張ってるものなのか?
 ダメだ、さっぱりわからない……。



「……確かに、演劇部だけあって。やたらと色んな表情をしてたけどな。僕には本人の普通が、一番しっくりきた」
 ……なにそれ?
 そんな海原の、極めて真面目な答えに。
 わたしの心は、なぜか一瞬だけざわっと音を立てた。

 え? まさかコイツ……。
 『普通の女の子』として、認識したの?

 確かに、舞台の上で輝いていた『お姫様』だといったのはわたしだ。
 だから、だからこそ。
「噂どおり、キラキラしてて可愛かった!」
 そんな、『平凡な』評価でよかったのに。
 だって、『普通』だとわかるには。
 その人の『普通』を知らないと、わからないんだよ?

 ……いやいや。
 きっと、深い意味はないはずだ。
 だって海原だもん。『普通』の海原なんだから。

 でも、そんなアンタを理解するまでに。
 わたしはいったい、どのくらい時間をかけてきたんだろう?
 ……『普通』のアンタなんて。
 わたしは。
 一回じゃ、わからなかったよ……。


「おい、聞いてるのか? 高嶺ってば!」
 ……海原の声で、ふと我に返る。
「えっと、なによ?」
「だからさぁ。三藤先輩はどうだったんだ?」

 なぜか、わたし頭の中で。
 まだ知らない波野先輩と。
 月子先輩をはじめとした、部活のみんなの名前がかけ巡る。
 ねぇ、この感覚って……。
 いったい、どういうこと?

「『普通』だったよ……」
「えっ?」
 わたしは、かろうじてそれだけ答えると。
「いくよっ!」
 あとは一刻でも早く、部室に移動して。

 ……海原とわたししかいない空間から。
 なぜかはわからないけれど、抜け出したくなった。



 ……放送室の、扉をあけると。
 三藤先輩がちょうど、お茶を淹れているところだ。
 でもあれ?
 湯呑みが……ふたつだけ?
「由衣さん。ほかのみんなは先に移動して、講堂で新しいマイクのテスト中だけれど。あなたはどうする?」
「わたしも、いってきます!」
 高嶺は、即座に答えると。
 カバンを僕に押し付けて、消えてしまう。

「……適温だと思うので、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
 そう。先輩のお茶は、いつでもパーフェクトだ。
 僕は、赤銅色(しゃくどういろ)の焼き物の湯呑みを手にして。
 いただきますと、ひとこと添えてから……って。あ、熱ッツ!
「あら、失礼。少し心が乱れていたのかもしれないわ」
 ……まだ怒っているんですね。ご、ごめんなさい!
「わたしに謝る必要なんて一切ないわ。別にお昼を一緒に食べる義務は、部則に記されてはいないわよ」
 えっと……。
 ぶ、部則なんて。
 あ、ありましたっけ……。

「よろしければ、もう一口お茶をどうぞ」
 熱すぎるお茶に、氷の三藤先輩を入れたら飲めるかも……。
 いや、いまならお茶も凍るだろう。
「あの……。も、もう少し冷めてからでも?」
「わたしが、せっかく淹れたのだけれど?」
「で、では……。い、いただきます。あ、熱ッツ!」


 ……ようやく、三藤先輩が小さくほほえんだ。

「まぁ、もういいわ」
「へ?」
「少しはスッキリしたので、許してあげる」
「あ、ありがとうございます……」
「念のため、いえ参考のために聞くけれど……」
「はい?」
「『お話し』は、終わったのかしら?」
「あ……」

 そもそも、波野先輩はなんのために僕と会っていたんだ?
 それに、あれで話しは終わったのか?

 斜め向かいで、藤色の瞳がじっと僕を見つめている。
 ……う、嘘だけはいけない。
「わかりません!」
 その場で斬首にあう覚悟で、僕はそう答えた。



 ……いまのわたしに、『余裕』なんてない。
 お茶だってそうなの。
 きょうは、海原くんの飲みやすい温度に、上手に冷ませる自信がなかった。
 まぁ、少しは感情を伝えたくて。
 熱々のまま出したのも、事実ですし。
 ただ、それを無理して飲む姿を見て。
 ごめんなさいではあるけれど、溜飲を下げたのもまた、事実なの。

 ……果たしてこれは、いったいどういう感情なのかしら?
 どうしてわたしは、『余裕』がないの?

 波野さんのことも、よくわからない。
 そもそも、その存在も知らなかったけれど。
 海原くんに、わざわざ話しかける理由がわからない。
 まぁ、ひょっとしたら。
 海原くんだからこそ、話しかけるのかもしれないけれど……。


 いずれにせよ。
 これきりで終わることはないだろう。
 なぜだか、そんな予感がする。
「それで。今度はいつ、お話しするの?」
 ヒントを、探すため。
 わたしは目の前で縮こまっている海原くんに、質問する。
「わかりません」
「どうして?」
「特に、約束したわけではないので……」
「えっ……」
 
 いきなり、海原くんの『約束』という言葉が。
 わたしの胸に、チクリと刺さった。
 そうだね、君はいつも。
 ……『約束』を守ってくれる。

 それなら、わたしが彼に『約束』を迫ればいい。
 でも、どんな権限でそれができるの?
 それに、どんな『約束』をお願いするの?

 わたしは、彼にそれを強制する権限なんて持っていない。
 だとしたら。海原くんという存在は……。
 いったいわたしの、なんなのだろう?


「……まぁ、お好きにどうぞ」
「へ?」
「わたしは、気にしませんので」

 わたしの、精一杯の強がりだけれど。
 でも、いまは。
 代わりになる言葉を見つけられなかったから、仕方がない。


「ところで、次回の委員会の相談なのだけれど……」

 ……そう。
 彼とわたしは、こうしてつながっている。

 部活動と委員会。
 わたしたちは、ふたつのつながりで。
 つながっているのだから……。


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