恋するだけでは、終われない / 告白したって、終われない
第十一話
「……なーんか、微妙だね」
「そうかしら?」
「微妙ですよ、ね『原因くん』?」
「そ、そうかなぁ……」
「それくらいは認めなさいよ!」
「認めたほうがいいでしょうね」
「昴君、そこだけは潔くしてよねー」
翌朝の列車の、ボックスシートは。
僕にとって、まさに針のむしろだ。
三藤月子、高嶺由衣、赤根玲香に囲まれて、生きた心地がしない。
でも、僕は本当にそんなに悪者なのか?
たった一回、まぁ正確には朝も話したので二回?
見知らぬ女子と話しただけで、この扱いは……。
さすがに不当では、ないのだろうか?
「……昴に、人権なんてないっ!」
「まったく。お姉ちゃんたちの身にもなってよねぇ……」
自称『姉』のふたり、春香陽子、都木美也にも。
昨日の帰り、しっかりしぼられた。
「でも、なんでそこまで……」
「うわぁ。姉ながら最悪」
「まぁ、君がわかれば……。誰も苦労しないからねぇ……」
そうやって昨日のふたりの言葉と。
今朝の三人の言葉が、頭でぐるぐるしているうちに。
ひとりで乗ったスクールバスが、学校に到着する。
校門を越えて、並木道に入る。
ま、まさかねぇ……。
「お・は・よう、海原君」
波野姫妃が、二十四時間前と同じ声色で僕を呼ぶ。
思わず、聞こえなかったフリをして歩き出すと。
いきなり、その声が。ボリュームボタンふたつ分は大きくなる。
「お・は・よう、海原君!!」
並木道の先を歩いていた何人かが、驚いてこちらを振り返る。
「あのー。聞こえならいなら、もっと大きく呼びますけどー?」
観念した、僕が振り返ると。
今朝はなんと、白い歯まで出して。
目の前で『演劇姫』が、ニコニコしている。
「……青のり、ついてますよ」
「そんなわけないでしょ。わたし、嫌いだし」
……あぁ。
こんな古典的なネタでは高嶺くらいしか、撃退できないのか。
確かに、朝から青のりって変だけど。
だったらいつだかの朝、アイツはいったいなにを食べたんだ?
「ちょっと! いまほかの女の子のこと考えていなかった? あいさつは?」
「お、おはようございます、波野先輩」
「もう! そろそろ、姫妃って呼んでもらえないかしら?」
えっと……。
その『あざとかわいい演技』は、昨日もう見ましたけど?
まぁいい。
それ以上は本人に返す、言葉もなく。
僕は早足で、校舎へと向かう。
「ちょっと! そんなに早く歩いて、前の人たちに追いついてもいいの?」
なんだか、ちょっと声に凄みが増している。
「そしたらわたし、あることないこと叫ぶけど。いいかな?」
う、嘘でしょ……。
朝から脅迫されるんですか? しかも笑顔で?
「……えっと。なにか、ご用ですか?」
「そうそう、それでよろしい」
きょうも、しっかり決まっている『お団子ヘア』はそういうと。
「海原君って。周りのガードが固いから、話しかけづらいんだよね〜」
さっき脅迫してきたのとはまた違う声色で、僕に不満そうにいう。
「あの……。ご用件、というか目的はなんですか?」
「うーん。いうには、まだ早いかな」
波野先輩は、ちょっと考えるような仕草をすると。
「ねぇ、止まってもらえる?」
いきなり、真面目な声になった。
「……誰に筋をとおせばいいのか、教えて欲しい」
「はい?」
「だ・か・ら! 海原君との時間を作るには、誰の許可が必要なのか教えて!」
「へ?」
いったい、この人はなにをいっているんだろう?
わけがわからず、もう一度聞き直そうと思ったそのとき。
……並木道の木々が、ざあっと音を立てた。
「……誰の許可も、必要ないわ」
……噂には、聞いていたけれど。
基本誰とも、話さないはずなのに。
本当に彼女って、『彼』のためならしゃべれるんだ。
……誰かのためなら、変われるその子に。
わたしは少し、嫉妬した。
「それならなぜ会話に割り込んだの、三藤さん?」
彼女はわたしの質問には答えず。
ゆっくりと、彼とわたしのあいだに入ってくる。
「あなたの狙いは、いったいなに?」
きれいな瞳だ。
まっすぐな瞳だ。
でも、あなたはまだその瞳を。
……海原昴には、向けきれていない。
「いうには早いって、さっき海原君に答えたばかりなのになぁ……」
……次のスクールバスが、校門前のロータリーに到着する。
波野先輩が、まっすぐに三藤先輩を見据えている。
「『また』並木道で注目を浴びたいの? 三藤さん?」
「演劇部ではないので。必要以上に注目される趣味はないわ」
「じゃぁ、放課後にもう一度会えるかな?」
「構わないわよ」
「それまでは、お互い海原くんには接触しない」
「承知したわ。それでは、失礼」
そういうと三藤先輩は、僕のことなど目もくれず。
ただその髪を、いつもより少し左右に揺らしながら。
少し乱れた歩幅で校舎へと戻っていく。
ふと、気がつくと。
波野先輩も、僕を置いて。
ひとりで歩き出していた。
……いまは、どちらも。
追いかけてはいけない。
さすがの僕でも。
それくらいは、理解した。
その日の、昼休み。
放送室には、三藤先輩がいない。
静かな先輩がいないと、部室の中の賑わいがない。
矛盾するけれど、それが事実だ。
早めのお弁当が終わると、室内に沈黙が流れる。
「なーんか、微妙だね」
玲香ちゃんが口を開いたけれど、誰も言葉を返さない。
「月子、どこにいっちゃったんだろうねぇー?」
玲香ちゃんだけが、話し続ける。
「まったく! 昴君のせいだよ。連れてきてあげなよ?」
「……それは、しません」
「は?」
「えっ?」
ふたりの『姉』が、同時に驚いたような声をあげた、そのとき。
玲香ちゃんが、立ち上がると。
顔を下げたままの、僕の隣にやってくる。
「居場所知らないから、いけません、ってこと?」
「いや、どこにいるかはわかるんだけど……」
いいかけていた、僕の左頬を。
玲香ちゃんが、思いっきりピンタした。
「ちょっと、玲香ちゃん! なにしてんの!」
「由衣は、黙ってて!」
玲香ちゃんは僕をにらみつけたあと、高嶺のほうを向く。
「月子が、どこにいるかわかるくせに。連れ戻そうとしない、意気地なしだよ! そんな昴君を、なんで由衣はかばうわけ!」
「……違うよ、玲香ちゃん」
わたしは、冷静だった。
「コイツは、月子先輩が約束したから。それを破らないだけ」
そうだ、憎らしいけど。
これがコイツの『普通』だ。
「放課後までは、接触しないって……」
陽子先輩が。
「波野さんと約束したって、月子がいってたでしょ?」
美也先輩も。
「……だから、ここにはこないんだよ」
ここにいない誰かを、思う気持ちは同じだ。
玲香ちゃんは、まだ怒っている。
「だったら、昴君がここにこなければいいじゃない!」
だから、わたしは……。
「玲香ちゃんさ。それで、月子先輩が喜ぶと思う?」
「え……?」
「居心地が悪くても、コイツはここにいるんだよ」
「なんで? どうして?」
「……月子がいってたでしょ。勝手な約束しちゃってごめんなさい、って」
……そうだった。
陽子がわたしに、思い出させてくれた。
月子がくれば、昴君は部室に入らない。
「勝手な約束で、ほかのみんなを巻きこみたくはないわ」
あの子のそんな声が、聞こえた気がした。
「お昼くらいひとりで平気よ。だから海原くんは部室にいきなさい」
そうだ、月子なら、そういいそうだ。
いや、むしろ。
「居心地が悪いのは、仕方がないわね。それでもあえて、みんなのところにいくからこそ、海原くんじゃないかしら?」
うん、これが月子だ……。
昴君は、月子の居場所もわかっている。
迎えにいくことなんて簡単なのに、我慢しているんだ。
そうか、つらいのはわたしだけじゃない。
もっと彼は、つらいのか……。
あぁ、わたし。
とっても自分勝手なことしちゃったよ……。
それにしても。
そこまで、互いの気持ちがわかるのに。
どうして心の居場所は、わからないんだろう?
わたしは、月子との差が。
……また、開いた気がした。
「昴君、ごめん……」
わたしは彼に、とんでもないことをしてしまった。
「気にしちゃダメだよ玲香ちゃん、代わりにやってくれてありがと!」
「えっ?」
「ちょ、ちょっと待て!」
わたしは、聞き返して。
昴君は思わず、大きな声を出す。
「なによ? アンタさぁ。最近調子乗りすぎだから! そろそろ一回くらい、天罰喰らったほうが、人生楽しめるってもんでしょ」
……由衣、すごい!
「そうだねぇ、まぁ姉としても頼もしかったというか」
「そうそう、たまにはそれくらいされて。現実見ろよって思うね、うん」
「ちょっと、都木先輩、それに春香先輩も! 僕、被害者ですけど?」
「アンタさぁ! その自覚のなさが、ダメだっていってんの!」
「なんでだよ〜!」
……な〜んだ。
それで、いいんだ。
ここにいるみんなは。
誰かが気持ちをぶつけるのを、待ってたんだね。
「……えっ?」
「どうしたの、昴君?」
「なんで玲香ちゃんが、ご機嫌そうな顔になってるの?」
……ごめんね、昴君。
ピンタしたのは、悪かったけれど。
それでも、たとえこんな役でも。
みんなじゃなくてわたし『だけ』が、『特別』だったんだと思うと……。
わたしはちょっとだけ、うれしくなって。
……今度は一歩、昴君に近づけた気がした。
……海原くんが、そんな目にあっている頃。
わたしは、ひとりで。
ふたりの思い出の場所に立つ。
大きな空には、少しだけ近づいたけれど。
海原くんなしで、ひとりで屋上にくるなんて……。
思っても、みなかった。
わたしは、太陽に照らされた右手の小指を。
左手の人差し指をゆっくりと上下させて、さすってみる。
でも、それだけでは。
ただの触感が、伝わるだけで。
鼓動の変化を、感じなかった。
……わたしはどうして、こんなことをしているのだろう?
海原くんに『約束』をしてもらえる権利なんて。
わたしには、ない。
でも、でも。
……ここに海原くんがいないのは、寂しい。
それだけは、強く。
とっても強く、わかってしまった。