恋するだけでは、終われない / 告白したって、終われない
第十二話
講堂のステージに、波野姫妃が立つと。
スポットライトを、当てていないのに。
その輝きが、増したような気がした。
最前列中央の席に座る高嶺が思わず、声をあげると。
隣で玲香ちゃんが、渋い顔をしている。
「ちょっと、なにしてるの……」
「まぁ、いいじゃない」
春香先輩が苦笑いをしながら、それをなだめる。
「そうそう。もうひとりだって、立派なもんだよ」
都木美也は、そういうと。
僕の背中を押してから、ゆっくりと座席に腰を下ろした。
ステージの脇にあるステップをあがり、僕は舞台袖にいるその人に。
「本当に、こんな場所でいいんですか?」
思わず、聞かずにはいられなくなる。
「前にいったわよね? わたしは演劇部じゃないわよ」
ですよね。
やっぱり、なにも講堂のステージでやらなくても……。
「……だから、必要以上に注目される趣味はないわ」
……え?
と、ということは……。
「必要とされるくらいまでなら、注目されるのは嫌でもないの」
三藤月子は、その藤色の瞳を僕に向けると。
「……理解してくれて、ありがとう」
そうつぶやいて少しだけ、ほほえんだ。
「いってくるわ、海原くん」
「い、いってらっしゃい」
三藤先輩が、舞台の中央に向かって歩き出す。
その歩幅には、迷いがなくて。
……ただただ、美しかった。
……三藤さんって、きれいに歩くんだね。
彼女はまっすぐに、わたしに向かってくると。
背筋を伸ばし、一礼する。
わたしがスカートをひらりとあげて、お辞儀をすると。
「あなたの狙いは、いったいなに?」
彼女が、口火を切る。
「もう伝えたよね?」
「もう一度どうぞ」
なにそれ。そんなに何度も、聞きたいの?
「海原君との時間を作るには、誰の許可が必要なのか教えて欲しいだけ」
「誰の許可も必要ないと、伝えたはずよ」
「それなら今朝、わざわざ会話に割り込んできたのはどうして、三藤さん?」
「答えたく、ありません……」
「ねぇ。そしたらこうして話している意味が、なくなっちゃうよ……」
わたしはそういうと、やや大袈裟に肩を落としてみる。
ところが目の前の女の子は、安いわたしの挑発に乗ることはなくて。
「あなたの狙いがわかれば、意味はあるわ」
そう斬り返すと、もう一度わたしに答えろと伝えてきた。
「狙い、ねぇ……」
いいながらわたしは、客席に並ぶ四人の顔を。
ひとりひとり、眺めていく。
赤根さんは、少し不愉快そうにわたしを見ている。
そりゃそうだよね。
なにしにきたんだよって、思うよね?
隣の高嶺さんは、少しわくわくしてくれている。
演劇部員として、素直にありがとう。
春香さんは、見守っているんだよね。
ただし対象は、わたしではなくて。
……ステージの上の、もうひとり『だけ』を。
都木先輩は、信じているんだよね。
なにが起きても、自分たちは揺るがない。
それだけ強固な信頼を、みんなに寄せている。
そして、目の前に立つ三藤月子。
認めるしかない、断言できる。
悔しいけれど、あなたはいま。
……わたしより、輝いている。
……あぁ。
なんか、バカらしくなってきた。
わたしの負けだ、なんかごめん。
もうどうだっていいから、帰ろう。
身勝手すぎなのはわかるけど。ちょっとだけ相手してくれて、ありがとう。
「ごめんなさい。わたしの間違いでした」
わたしは、吐き捨てるようにいってから。
ステージの中央から、海原君のいる舞台袖とは逆のほうをむく。
彼も、トバッチリだったね。なんか、ごめんね……。
そうやって、ステージから逃げようとして。
誰かに右手を、つかまれる。
いや、つかむといういいかたは不適切だ。
……わたしが思わず握った、醜い拳を。
三藤さんがやさしく、包み込んだ。
その力が、やわらかいだけでなくあたたかで。
わたしは思わず振り返って、彼女をみる。
すると。
やや物憂げで、ほんのり潤みがちで。
それでいてどこまでも澄んだ、藤色のふたつの瞳が。
……まっすぐにわたしを見つめていた。
「波野さん?」
「は、はい……」
「ここは、あなたのステージよ。あなたの想いを、伝えて欲しい」
彼女はわたしにそう告げると。
わたしの返事も待たず、そのまま舞台から客席へと移動して。
一列に並ぶ四人とは、少し離れた場所で。
ひとり優雅に、着席した。
「……お祭りの日に、偶然見てしまったの」
わたしは、三藤月子の魔法にかかってしまったのだろう。
……なぜだか自然に言葉が、出てきてしまう。
舞台の上なのに、演技はいらなくて。
嫌な自分も含めて、ここでなら。
正直な気持ちを、すべてをさらけ出すことが。
ちっとも恥ずかしくないと、わかってしまった。
……あの日はなんだか。
ウチの学校の人たちが集まっているな、そう思って。
ただ、ちょっと深刻なことっぽい?
そんな興味が、湧いただけ。
「……片想いなの」
思わず、耳を疑った。
これって『現実』の話し?
「わたしが一方的に、海原君を好きになったの……」
すごい『場面』を、見てしまった。
「海原昴君が、好きなの。大好きなの!」
あんなに『本気』で想いを伝えている人の姿が、衝撃だった。
それからの都木先輩と、先輩を取り囲んだあなたたちも。
題名が、つけられないくらい。
とんでもなく素敵な『舞台』にいて。
……目に焼きついて、離れなかった。
……そう、わたしには。
まぶしくて、まぶしくて。
おまけに、うらやましくて仕方がなかった。
わたしは、演劇部が大好きだ。
でも部員が、どんどん減っていて。
ついに今年は、わたしと三年生の部長のふたりだけしかいなくなった。
だから今度の文化祭で、先輩が引退したら……。
わたしはひとりぼっちになって……。
そのまま演劇部は、廃部になる。
部長は、わたしに。
「悲しいだろうけれど、だからこそ完璧な舞台を。最後にふたりでやり遂げよう」
そういって、ずっと励ましてくれている。
わたしは、部長が書き下ろした恋愛物語を、完璧に演じたい。
でも、夏休みのあいだに、どれだけ練習しても。
……わたしはフィナーレが上手に、演じられない。
最後のシーンで、過去のトラウマから頑なに心を閉ざしたままの主人公は。
わたしの愛の告白によって、ようやく心を動かされ。
結ばれて、ハッピーエンドを迎えるはずだ。
ありがちな展開だと、思うだろうけれど。
台本には部長からの、『宿題』が課せられている。
「姫妃の言葉で、『演劇部を締めくくって』欲しい」
これが、いままで一緒にやってきた部長からの願いで。
だから台本の、最後のセリフは空白のままで。
わたしが、決めなければならないの。
……わたしは『演じる』のは、大好き。
でも、物語をつくるのは苦手。
決められた役とセリフなら、工夫できるけれど。
自分で言葉を、組み立てたりするのは、苦手。
人間関係も、友達関係も同じ。
クラスのみんなは、演じているわたしをほめてくれるけれど。
普段は誰とも、交わらない。
わたしは、単なる演者でしかなくて。
客席のみんなとのあいだには。
透明な仕切りが常に、壁のようにそびえ立っている。
そうやって、悩んでいたとき。
偶然あなたたちの『舞台』を見て、衝撃を受けた。
そこには、ステージも客席もなくて。
あなたたちみんなで、ひとつの『舞台』を作りあげていた。
……ごめんなさい、あなたたちのことを『舞台』に例えていて。
でも、それが。
わたしの間違いのはじまりだ。
放送部の、『空気を読まなそうな』唯一の男子。
あんな美人の都木先輩や、かわいい女子だらけなのに。
告白されても、なにも起こらないなんて……。
ふと、春香さんが客席で苦笑いしているのに気がついた。
ちゃんと、話しを聞いてくれているんだ。ありがとう。
それからわたしは、バカなことを思いついた。
……わたしが、奪ってしまおう。
そう、もし海原昴を『落とせれば』。
恋愛劇のセリフは、完成するはずだ。
だから、彼に近づいて。
その気にさせようと、企んだの。
……ごめんなさい。
文化祭の、演劇部の『舞台』のため。
「ただそれだけのために、海原君とみなさんを利用しました……」
……講堂が、静かになる。
ステージにいるわたしが、話すのをやめたのだから当然だけれど。
客席の誰かに、責められるかと思ったから。
わたしは少し、拍子抜けした。
無音の客席に、わたしは少し不安になる。
……声をかけるのさえ馬鹿馬鹿しい、そんな雰囲気なのだろうか?
それなら、まだ罵声を浴びたほうが。
みじめなわたしには、ふさわしいのに……。
……いったい、どのくらい経ったのだろう?
実際は、数分もなかったのだろうけれど。
わたしにとっての、長い沈黙の時間を。
三藤さんが、ついに破ってくれた。
「いったはずよ。ここはあなたのステージよ」
「えっ?」
「……まだ『続き』が、あるんじゃないかしら?」
あぁ……。
あなたって、意地悪なの? それともやさしいの?
「波野さん」
赤根さんが、わたしにニコリとしてから。
「月子はね、基本無愛想だから。悪気はないんだよ」
結構、すごいことを教えてくれる。
「ちょ、ちょっとどういう意味よ、それ!」
いわれた当人が思わず席を立って、抗議の声をあげると。
「本当だし仕方ないよ。あ、あとね、波野さん?」
今度は、春香さんが。
「おまけに、性格暗かったりもするけど。それは内緒だよ」
ぜったい聞こえてるのに、内緒だなんて……。
変だよ、それ……。
「ふたりとも、いい加減に……」
そういいかけた三藤さんに、高嶺さんが。
「結構、怒りっぽいですしね〜」
楽しそうにして、怒りかけている本人に笑いかけている。
「……要するに、月子ってそんな子でね」
都木先輩は、わたしだけでなくて、みんなに同意を求めるように。
「みんなもわたしも、だから月子が好き」
そういうと、とっても自然に笑顔になって。
そのやさしい目のまま、三藤さんの手をひいて隣に座らせた。
「まったく。わたしのことはもういいですから……」
少し耳を赤くした、三藤さんは。
「美也ちゃん、代わりにどうぞ」
そういって、わざと面倒くさそうなそぶりをしてから。
きちんと背筋を伸ばして、客席に座り直す。
指名を受けた、『公開告白』した先輩がわたしを見る。
「あのね、波野さん」
「はい……」
「わたしたち、ちゃんと聞くよ」
「えっ……」
「だから、最後までどうぞ。案外スッキリするよ」
……都木先輩の、ほほえみの延長線上にある。
その言葉と、重みに。
わたしは、突然。
舞台のスポットライトが。
……一気に、強くなった気がした。