(番外編集)それは麻薬のような愛だった
雫からの了承に安堵しながらも、伊澄の心は揺らいでいた。話しかければ答えるし、誘えば受け入れる。けれど雫から一緒に過ごす事を求めてきた事は一度だって無い。
現に今も、もう少しの間共に過ごせる事を喜んでいるのは伊澄だけで、雫の表情は特に変わらない。
昼間の笑顔が幻だったのかと思うほどに、彼女の瞳の熱は冷え切っていた。
——手遅れだなんて、俺が一番分かってる
それでも離れられない。例え冷たく突き放され心が折れようが、みっともなく縋り続けるのだろう。情けでも構わないから、そばにおいて欲しいと。
「…いっちゃん」
不意に呼ばれて小さく体が跳ねる。見上げた先には雫が伊澄に視線を向けていて、その顔は微かに綻んでいた。
「そういえばぬいぐるみのお礼、まだ言ってなかったよね。とっても嬉しいよ。ありがとう」
にこりと微笑んだ顔にかつての雫が重なった。
初めて雫が手作りした少し歪なマフラーを渡してきた翌日。首に巻いて登校した際の…純粋に嬉しい時に見せる彼女の笑顔。
「…、」
たった一言。一瞬の笑った顔。それだけで胸の内の不安が溶けていく。
まだ期待してもいいんだろうかと、愚かな思考が顔を出す。これだけ振り回されても尚苛立ちひとつ起きずに舞い上がる自分は杜川雫という女に相当囚われている。
愛と呼ぶにはあまりに残酷なそれは、まさに麻薬のような中毒性だった。
突き刺すような胸の痛みの中で感じた微かな希望への喜びに、伊澄は自分が壊れていくのを感じた。けれどそれでも良いとさえ思った。
例え後々奈落へ突き落とされると知っていても、雫の心が少しでも動いてくれるなら。
だがそれは事実、間も無くして全て伊澄の思い違いに過ぎないと知る。
合コン後に無理矢理自宅へ連れ込んだ雫から、自分の犯した絶望の真実を告げられる瞬間は——すぐそこまで来ていた。