優しい声の人
それからの数日間、千歳さんとのやりとりは穏やかに続いた。

 

「今日はお仕事どうでした?」

「野菜炒めが思った以上に焦げました」

「お疲れ様です。ちゃんと食べてる?笑」

「ちゃんと食べてます。葉月ちゃんは?」

 

 そんな他愛ないやりとりが、いつのまにか一日の楽しみになっていた。

 彼はメッセージのテンポも言葉も、どこまでもやさしい。
 距離を縮めすぎることもなく、でも私の言葉にはいつも丁寧に返してくれる。

 

 そして、週の終わり――

 

「来週、もしよかったら……仕事帰りにご飯でもどうですか?」

 

 そのメッセージを見たとき、スマホを持つ手が少し震えた。
 うれしさと、緊張と、どうしようもない期待。

 

「ぜひ。火曜日なら早く終わるので、大丈夫です」

 

 そう返した後、何度も文章を見返しては、変な返ししてないか確認した。

 

──そして当日。

 

「お待たせしました」

「ううん、私の方こそ、ちょっと早く着いちゃってて」

 

 駅前の灯りの下。
 千歳さんは、スーツの上着を腕にかけて、どこか仕事帰りの疲れを見せながらも、私を見るとやさしく笑った。

「じゃあ、行きましょうか。あまりうるさくないところ、見つけたんです」

「楽しみです」

 

 案内されたのは、小さなビストロだった。
 照明は落ち着いていて、テーブル同士の距離も広め。
 初めてのふたりきりには、ちょうどいい空間だった。

 

 注文を終えて、グラスを手に取る。

「お疲れさま、ですね」

「はい、お疲れさまでした」

 

 乾杯の音が、静かに響いた。

 

「……こうして会うの、なんだか不思議ですね」

「うん。でも、すごくうれしいです。葉月ちゃんが来てくれて」

「……私も、誘ってくれてうれしかったです」

 

 メニューの話、仕事のこと、好きな食べ物、ちょっとだけ家族のこと――
 気づけば、時間があっという間に過ぎていた。

「……気づいたら、もうこんな時間」

「ほんとだ。そろそろ駅、戻りますか」

「うん」

 

 外は、少しだけ涼しい風が吹いていた。
 街灯に照らされる道を、少しずつ歩幅を合わせて歩いていく。

 

 そして――駅のすぐ手前で、私は一度だけ立ち止まった。

「……千歳さん」

「ん?」
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