恋焦がれ
春といっても、晴れの日の放課後の太陽は夏のようにギラギラ照っていて、はっきり言うと暑い。
そんな暑い日には冷たいものを口にしたい。アイスとか、サイダーとか、かき氷とか、そういうもの。
「このジェラート美味しいわね」
菊田さんは透き通った肌で陽の光を浴び、一口一口味わってその度に微笑む。
やっぱり何しても絵になる人だ、菊田さんは。
「そ、そうだね、美味しいね」
「私のカシスも良いけど清水くんのマンゴーもすごく美味しそう」
「うん、美味しいよ、すっごく」
「一口もらえる?」
「ええ!?」
「ごめんなさい、はしたないって思ったわよね。忘れてちょうだい」
「い、いや、ちょっとびっくりしただけで、そんなこと思ってないよ」
「そう? 良かった」
僕らはジェラート店のオープンエアで滑らかで清冷なジェラートを口にする。暑いけど夏ほど暑くはなくて、ちょうど良い日差しが心地よい。
駅前のジェラート店はこの暑さのせいかそこそこ繁盛していて、席はベンチしか空いておらず、僕らはベンチで隣り合わせに座り若干溶けたジェラートを口に運ぶ。
なぜこんな状況になったのか、事の発端はほんの数十分前に起こった事だった。
「今日、ちょっと暑いわね」
「そうだね……」
帰りのショートホームルームが始まる前の時間、掃除を素早く終わらせた僕らはまだ掃除を終えていない班を教室で待っていた。
隣の席に座る菊田さんは珍しく本を閉じ、日差しを手で遮ろうとしていた。
「何か冷たいものを食べたいわね」
「いいね、アイスとか」
「アイスといえば……ああ、私駅前のジェラート屋さんが気になっているんだったわ」
指をピンと立て、ふと思い出したように菊田さんは言った。
「ジェラート屋さん?」
「ええ、最近できたみたいで。美味しいって評判なんですって」
「へえ、僕ジェラート好きだなあ」
「奇遇ね、私も。甘いものは大好きなの」
「ぼ、僕も、甘いもの好きだよ」
菊田さんが大好きだって言ったのは甘いものだって言うのに、僕はいちいち菊田さんの大好きという言葉に反応してしまう。
こんなこと気持ち悪いし、菊田さんに気づかれないといいけど。
「……」
そう思った矢先、菊田さんはスマホを取り出して何やら操作を始めた。
まさか、先ほどの僕の行動に気づいて、何か調べてる? そんな怯えと不安を胸に抱きつつ、変に思われる事がないようそっと菊田さんを見つめる。
「この学校、放課後どこかに寄ることは校則違反じゃないのね」
ちょうど良いわ。
菊田さんのその後に続ける一言は、僕の憂いを一瞬で吹き飛ばした。
「放課後一緒に行かない? 一人だと入りづらいのよ。お願い」
好きな人にそんなお願いをされたのなら、聞きれる他ない。
「もしかして私がもらうだけだと思ってる? 心配しないで、私の方もあげるわよ」
回想に浸っていた僕は、菊田さんの言葉で現実へと戻ってくる。
菊田さんは首を傾げてスプーンいっぱいにカシス味のジェラートを掬った。
ジェラートは菊田さんの胸元まで高く掲げられて、煌めき続ける太陽の直射日光に晒されてじんわりと溶けていく。
「ほら、溶けちゃうわ」
スプーンは溶けかかったジェラートが溢れないよう、菊田さんによってそうっと運ばれる。
僕の方に。
「え、」
「ほら、」
あーん。
服の上からでも分かるほど、心臓が高鳴る。
耳の脈が速くなり、音が聞こえる。
身体中の血が騒いで、ぐるぐる高速で僕の体内を駆け巡る。
呼吸が止まってしまいそうで、口をあうあう変な風に動かしてしまう。
「あぐ、」
菊田さんによって優しくも強引に詰め込まれたカシスのジェラートは、僕の口の端から濃い赤紫の液体を垂れ流す。
「実は、清水くんのマンゴーのジェラートが食べたいっていうのは本当だけど、私の美味しいカシスのジェラートも食べてほしくて、そう言ったのよ」
ふふ。
菊田さんは僅かに頭を揺らし、目を細め、まつげを垂らし、口角を上げ、少し頬を色付けさせて、僕に微笑んだ。
鼓動がより一層激しくなって、僕は必死に五感を味覚に集中させる。
甘酸っぱくて、フルーティーで、少しのほろ苦さを纏ったカシスのジェラート。それが口の中でじんわりと溶けていき、やがて液状になる。
大人っぽい香りが鼻を通り抜け、僕は自然と目を細めた。
「……美味しい」
「ええ、美味しいでしょう? 私、ジェラートの中でカシスが一番好きなのよ」
「へえ、そうなんだ」
菊田さんがせっかく好きなものを教えてくれたというのに、全く僕という人間はこんなありきたりでつまらない返事しかできない。
色づいて華やぐ心を前に、僕は意図的に気分が下がることを考える。
菊田さんから僕のマンゴージェラートをせびられて、また心拍が早まるのはまた、別の話。