邪に、燻らせる

EPILOGUE

「SABONのバスソルトって買い方わかる?」
真面目な顔で聞かれて、固まった。
比較的人の少ない平日の午後の渋谷を歩きながら、すぐ隣で携帯を弄っている冬爾の顔をまじまじと見つめた。
「は?SABON?冬爾が買うの?」
「事務所の女の子のバレンタインのお返しそれがいいってリクエストあって、まずSABONとはなんだけど石鹸?」
「ああ、お返しね!びっくりさせないでよ…」
「俺が使うと思ったのか?」
「だって急に三十男からそんな女子力高いワード出てきたら普通にキモくて鳥肌立つからね」
「言いたい放題だな」
冬爾は携帯から顔を上げて眉を顰めている。
「あとLUSHのボディバター…?」
「多分両方駅前のビルにショップ入ってるよ」
「THREE?のハンドソープもある?」
「どんだけたかられてんの?」
女の子たちからの注文を携帯にメモしているらしい冬爾は、やっぱり変なところが律義だなと思った。
結局冬爾が来てから2日間は、どこにも出掛けずに家に引きこもってだらだらし続けた。
さすがにこれでは不健全だ!と重い腰を上げたは良いものの、特に行く宛もなかった私たちは無意味に渋谷を散策している。
「今年豊作だったんだよな、赴任したてだから気遣ってくれただけだろうけど」
「会社だとやっぱり貰うのね」
「まあなんだかんだ毎年の恒例行事だな」
うわ、と店の前で冬爾が立ち止まった。
如何にも女子!という感じの店内に入るのがどうにも気恥ずかしいんだろう。
「寧子、指定されたの買ってきてよ」
「自分のお返しでしょ?」
「義理のお返しなんか心じゃなくて金込めとけば満足すんだよ、俺煙草吸ってくるから」
「まったく…」
逃げるように喫煙所に向かった冬爾から、携帯のメッセージに買い物リストが送られてくる。
私は指定された商品を店員さんに包んでもらうように頼んで、会計を済ませたあとは店内を物色しながら時間を潰した。
義理チョコねえ、なんて少し考えた。
独断と偏見で勝手にお返しを選ばずにちゃんと相手のリクエストを聞いてあげる辺り、結構ポイントが高い。
自分がうっかり惚れたから褒めるわけじゃないけど、多分冬爾って、普通に何の苦労もなくモテてきたタイプの男だ。
芸能人みたいにずば抜けて格好良いわけじゃないけど、清潔に整った顔立ちは男前と言って差し障りないし、ちょっと知りたいなと思わせるような雰囲気がある。
それで中身も特にガツガツしてる感じもなく丁寧で優しくて、だから見た目から入ったあとも女から見て減点対象になる要素が圧倒的に少ない。
しかもあれは、特に打算もない。
天然物でやってるから逆に厄介なのだ。
「買えたけど、今どこ?」
『俺適当に時間潰してるから他のも買ってきてくんない?全体的に店がもう俺みたいなおっさんお呼びでないわ』
「あのねえ、なんで私が冬爾が貰ったチョコのお返し揃えなきゃいけないわけ?」
『頼むって、晩飯好きなもん奢るからさあ』
「…麻布の鉄板焼きね」
『任せろ、この2か月金使ってねえから』
よろしくー、と通話が切れた。
私は暗くなった通話画面を忌々しげに睨んでから、他のプレゼントの調達に向かった。
「悪いな、おつかいご苦労様」
買い物を終えて冬爾に連絡すると、ひらひらと手を振ってエスカレーターを降りてくる。
「いえいえモテる男は大変ですね」
「嫉妬?」
「会社の人から貰った義理チョコでドヤるのダサいよ普通に」
買った荷物を冬爾に押し付けた。
冬爾はそれを受け取りながら「これって誰が誰の?」と面倒くさそうに眉を顰めていた。
「その中に本命は紛れてないの?」
「ないない、てかあったら寧子に頼まないわ」
「ふぅん」
ないんだ、なんて思った。
まあ大人になって今さらバレンタインに告白も何もさすがにないか。
なんて考えていると、冬爾の携帯が鳴った。
「あれ、弟だ、ちょっと出ていい?」
私が頷けば冬爾が携帯を耳に当てる。
意外と兄弟仲良いんだなあ、と思いながら近くの柱に背中を預けて、冬爾の通話が終わるのを待った。
「悪いな、待たせて」
「ううん、何かあったの?大丈夫だった?」
「飲みに行こうって誘われて今寧子と一緒って言ったら会いたいって、呼んでいい?」
「え、今から?一緒に?」
「嫌だったら断るよ、いつでも行けるし」
「私は全然いいんだけど…」
自分に兄弟がいないからよくわからない。
正式に付き合ってまだ三日目とかの女を弟に会わせたりとかって、男同士なら普通にするものなんだろうか?
「どう、福岡の一蘭ってまじで味違えの?」
「知るか」
三人で鉄板焼きは微妙かなと大衆的な焼き肉屋に店のチョイスを変更して、生ビールで乾杯する。
怜爾は所謂弟属性を絵に描いたような人懐っこい性格で、会ってしまえば私の緊張はすぐにほどけた。
顔の造り自体は冬爾とよく似ているのに、纏う雰囲気が正反対と言えるほど溌剌としているせいで、あまり似ている感じがしない。
「てか兄貴痩せたよな?明太子嫌いだっけ?」
「お前頭ん中飯のことしかねえのかよ」
「だって会わせてとか言ったものの兄貴の彼女とか会うの学生時代ぶりとかじゃん?なんか緊張するわ」
「会わせたことあったっけ?」
「ほら俺がバイト早上がりして夜中帰ったら兄貴が当時の彼女と真っ最ちゅ、あっ、ごめん今のなし…!」
「遅ぇよ」
わざとやってんの?と冬爾が顔を顰める。
私は兄弟の微笑ましいやり取りに笑いながら生ビールに口を付けた。
「兄弟で一緒に住んでたの?」
「俺が三回の時に怜爾が大学入学で、コイツ金ないとか言って俺の部屋転がり込んできて半年だけ」
「あの頃楽しかったよなあ」
「いや俺は全然地獄だったから二度と御免」
「なんでだよ!」
くつろいだ様子で煙草を吸いながら笑っている冬爾に、家族の前だとこんな感じなんだなあと思った。
特に普段私と一緒にいる時とそんなに変わらないけど、でも隙というか、家族間特有の気を遣わない感じがある。
「寧子さんは兄貴のどこが良かったの?」
「えー、どこだろうね?顔かな?」
「お前だけは俺の気持ちも少しは考えろよ」
お酒が進んできて上機嫌な怜爾がそんな話を切り出してくるのを、冬爾がやや嫌そうに隣で聞いている。
「なら兄貴は寧子さんのどこが良かったの?」
「そんなこと言われても、顔?」
「散々普段色気がないとか言っといて」
「化粧したら化けるって毎回褒めてんじゃん」
「それが褒め言葉になると思ってる時点でどうかと思うほんとに」
「今日もしっかり化けてんね、可愛いよ」
「殺すわよ?」
横目で冬爾を睨めば、目の前の怜爾が笑う。
「あはは、でもお似合いだよ、ふたり」
怜爾がにこにこして言うのに、なんだかふたりして居心地が悪く、目を合わせて苦笑した。
「明日の朝、あれ作ってよホットケーキ」
冬爾が急にそんなことを言い出した。
私はペットボトルの水に口を付けながら、珍しいこともあるもんだと思った。
「いいけど、急にどうしたの?」
「向こうで結構本気でハードでさ、疲労には糖分って言われた時に、無性に食いたくなったんだよな、あれ」
「甘いの嫌だってジャムつけなかったくせに」
「え、でも十分甘かったよ」
ベッドの上に胡坐をかいた冬爾が私の体を引き寄せるように後ろから抱きしめて、右の肩に顎を乗せる。
好きなようにさせながらテレビを点けた。
「…寧子ってこういう番組好きだよな」
「だって綺麗な景色って自分ではなかなか見に行けないからこういうとこで補給してるの」
「ふぅん」
「え、何でちょっと不満げなの?」
何が不満なのかわからず首をかしげた。
けれど冬爾は答えずに「別に」とぶっきら棒に呟いて寝転がっていて、本気で意味がわからなかった。
「どうせ俺は器の小さい男だよ」
「自分の器をどんな壮大なものと比べてるの?これ世界で名だたる絶景だよ?」
「寧子に会いに来るのにわざわざ有給申請して新幹線もエクスプレス予約でお得に指定席確保するような男だよ、俺は」
「…お得に来れて良かったじゃない?」
「会いたいって思い立ったその足でなりふり構わずに新幹線飛び乗ったりしねえし、俺って結局そういう人間なんだよ」
「ねえ、本気で拗ねてる理由がわからない」
ペットボトルを置いて、不貞腐れている冬爾の横に私も寝転がった。
「ていうかそれの何がいけないの?」
「…だって格好付かないだろ」
「周りに迷惑掛けないように自制することの何が格好悪いの?」
私はそういう真面目な冬爾が好きだ。
視野が広くて律義で堅実で、何よりも仕事を大事にしている冬爾を尊敬してるし、格好いいと思ってる。
「いい歳して仕事放り投げて来られた方が幻滅するよ、そんなの私の好きになった冬爾じゃないもん」
「…お前の趣味わかんねえわ振り幅凄くね?」
「振り幅って何よ?」
冬爾がきゅっと私を抱きしめた。
それから拗ねた顔が不満げにキスをしてくる。
「本当に俺でいいの?」
「さっきからなんで急にそんなセンチメンタルなの?冬爾こそ私のこと嫌になったの?」
「違うけど、ちゃんと付き合ったら絶対寧子のこと傷つけるんだろうなって」
「これまで散々傷つけてきたのね、冬爾って」
「…だって毎回別れ際泣かれるし」
都合のいい関係だと自分の立場を弁えていれば不満に思わなくても、恋人になれば愛情が足りない気がして物足りなく感じてしまうこともあるだろう。
きっと、冬爾はそうなると弱いのだ。
ある程度大事にするのは得意でも、何よりも自分を大事にしてくれてると女の子に思わせるのは下手くそで。
それで、私もいざ恋愛になればそれなりに欲深くなるタイプな自覚がある。
好きな人に自分の注いだものと同じだけの熱量を返してもらえないと、不安になるし寂しくも感じてしまう。
恋愛という土俵なら、私と冬爾の相性は、多分良くてもそこそこ止まり。
間違ってもぴったりなんかじゃないと思う。
でもね。
「一緒に苦労しようよ、冬爾」
今まで私たち、散々楽してきたでしょう?
都合の良い恋愛ごっこで、甘くて楽しい部分だけ切り取って、それ以外の苦くて苦しい部分は避けてきた。
でも、それだけじゃもう足りないんだ。
甘いだけじゃつまらない。
「苦労するなら、私は冬爾とがいい」
どうせ本気で恋愛なんてしたら、誰と一緒にいたって茨の道なんだから、それなら私は冬爾と苦楽を共にしたい。
身勝手に傷つけ合ったり、不安に呑み込まれたり、きっと楽しいことより苦しいことの方が多いけど、でも頑張ってみたいと思った。
曖昧に濁したりせずに、正々堂々。
ねえ私たち、ちゃんと一緒に生きてみようよ。
「…俺、寧子には一生敵わない気がするわ」
「なら一生尻に敷いてあげる」
恥ずかしそうに呟く冬爾に軽いキスをした。
優しく啄ばんで、すぐに離れる。
近い距離で目が合って、お互いに噴き出した。
「あー…、俺、長生きしなきゃなあ」
「なんで?」
首を傾げた私の頭を冬爾が雑に撫でる。
そのまま腕の中に閉じ込めて、額に柔らかな唇を落とした。
テレビから流れる賑やかな笑い声。
焼肉の匂いがする服。
開けた窓から吹き込む夜風には、柔らかな春の気配が混じっていた。
「だって寧子の喪主は俺がするから」
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