永遠の終わりに花束を

#14 幸福の青写真

「佳乃って料理するんだ?」
意外と手際よくまな板の上で野菜を切っているのに感心しながら、俺は言われた通りに冷蔵庫から卵を取り出し、中火で温めたフライパンの上に割り入れ目玉焼きを焼く。
「うん、最近練習中なの」
「ひとり暮らし始めたら毎食外食もなあ」
「実家には通いのお手伝いさんがいてお料理は大体その人が作ってくださったり、母が準備してくれたりだったから、最近ちょっとずつ簡単なものから頑張ってるところ」
佳乃の口から飛び出してくるエピソードはどれもお嬢様育ち丸出しで、俺はそのたび生きてきた世界の違いに内心苦笑してしまう。しかも本人はそれを然して特別なことだとも思っていなさそうなので余計に隔たりは色濃くなる。
それでも、俺を振り返って嬉しそうに笑う佳乃を手に入れると決めたのだから。それがどれだけ分不相応な望みでも。元々大した執着もなかった人生だ。必要なら全部だって佳乃にあげるから、あまり泣かないでほしい。俺の矮小な手で佳乃のことをどれぐらい守ってあげられるか、想像もつかないから。
「直樹くん、見て、あれ」
「お、遂にハナがアルの存在に慣れたかな?」
「自分から近寄って行くの初めてだよね?仲良くしてくれるといいけど」
さすがにハナはまだ突然自分の家に現れて即座に馴染んでいるアルに若干の警戒心があるのか、あまり自分から近付こうとはせず、昨日の夜も客間のほうに隠れてひとりで眠っていた。
しかしアルの存在にもようやく多少は慣れてきたのか、それとも子供特有の好奇心からか。ハナはダイニングテーブルの椅子の上で人間のように行儀良く座っているアルにそろそろと近付き、前足を出している。
「アル、本当にお利口さんだね。絶対自分からはハナに近付かないもん」
「まあ餓鬼の扱いには慣れてるしな」
「え?どうして?」
「一時期、俺の弟と一緒に暮らしてたから」
今となっては当時の可愛らしさが見る影もないほどデカい図体に成長してしまったけど、ドイツに来たばかりの頃の律は、同じ年頃の子たちと比較しても随分小柄なほうだった。それに、特殊な環境下で育ってきたせいもあるのか、無口な上に警戒心が強く、内向的を通り越してどこか閉鎖的な子供だった。
「弟さんってピアノがお上手な?」
「うん、俺と蒼は同い年で、律は13個下かな」
「そんなに歳の差が…!」
「俺が仕事に行ってる間は律の面倒なんかアルが見ててくれたようなもんだから、子守りに関してはエキスパートだよ」
そういえば、あの頃もアルのほうが俺よりも先に律と仲良くなっていたっけ。懐かしい記憶を掘り起こしながら、ちょっかいを掛けてくる子猫を泰然と見つめる愛犬を誇らしく思った。
そんな俺の隣では佳乃もにこにこしながらふたりのやり取りを見守っている。しかし、そのあと突然思い出したように「あ!トースト入れっぱなし焦げちゃう!」と悲鳴を上げて、焦げたバゲットを悲しげに取り出す。
「…焦げちゃった」
「はは、いいよ、俺が引き取るから」
「え!そんな申し訳ないよ!ちょっと時間掛かるけどもう一枚焼いて──」
そう慌てる佳乃の手首を掴んで、キスをした。
あからさまに驚いた顔で硬直する佳乃の軽く腕に抱き寄せながら、別にこのぐらいの焦げながら大丈夫だろうと、もう用意されている海老とアボカドを乗せてしまう。
「ほら、もうパスタも茹で上がるし完成だよ」
「う、あ、急に、心臓に悪い…!」
「なら早く慣れてね」
佳乃に触れるのに、理由なんてないんだから。
可愛らしい童顔を真っ赤にしてあたふたしている佳乃が俺と同い年なんて、冗談みたいだ。生粋の箱入り娘で育ってきたせいか、その言動には未だに擦れたところのひとつも見当たらず、恋愛面も中学生みたいにウブなままで、たまに悪いことでもしてる気になる。
それから、出来上がった朝昼兼用の食事を持ってリビングに移動する。ダイニングテーブルの席には既にアルとハナが横に並んで座っていて、俺と佳乃は仕方なく、その向かい側の席に隣り合って着席した。
「アル、遂に童貞のまま孫娘ができたな」
「でもほんとそんな歳の差だね」
「どんな絶世の美女眺めてるより目の保養だわ」
「あはは、確かに」
多少のことではアルが怒ったり反撃に出たりしてこないと理解したのか、ハナは興味津々な様子でアルの回りをうろちょろと動き回っている。俺と佳乃はそんな二匹のじゃれ合いを外野から傍観しながら、気付けば小麦粉だらけな食事を片手間に楽しんで過ごす。
「てかほんとすげえいい家だな」
「父がものすごい慎重に吟味してたから…」
「でもこんな一等地の賃貸なんてそもそも空きがあったのがラッキーだよな」
適当なひとり暮らし用のマンションならどこでもOKと言って物件を探すならすぐ見つかるだろうが、吉祥寺の一等地で諸々の設備も申し分ない高級賃貸なんて人気があるに違いないから、ここを借りられたこと自体幸運だろう。
俺は広々とした三人掛けのソファーに腰掛けながら、改めてリビングを見渡す。ここだけで二十畳近くはありそうなうえに、隣には寝室、廊下側にはもう一つ客間もあり、どう考えても単身者用の間取りではない。ここに成人女性と子猫がふたり暮らしなんて、あまりに贅沢すぎて、ちょっと隙間風が吹きそうだ。
「そうなの、広すぎるよって最初に言ったんだけど、セキュリティ面がどうとか色々言われるのに反論するのも面倒で…」
「逆に掃除とか大変じゃない?」
「ほら、お手伝いさんが来てくれるでしょう?」
「甘やかされてんなあ」
なるほど、面倒なことはお手伝いさん任せか。
食洗器に食べ終えた皿を突っ込んでからすぐ横に戻ってきた佳乃が、少し恥ずかしそうにする。面倒事を金で解決するのは別に悪いことではないけど、佳乃の場合は普段仕事もほとんどしていない様子だし、さすがに引け目を感じているところはあるのだろう。
「まあご両親の気持ちもわかるけどな」
「…こんな歳で世間知らずなのも恥ずかしいよ」
「みんなそれぞれ育ってきた環境とか、副次的な要因とか色々あるんだから、別に恥ずかしがることじゃないだろ」
完璧な幸福なんてどこにもないのだから。
恵まれた場所に生まれるだけでその人間の幸福が保証されるのなら、佳乃が涙を流す理由なんてどこにもなかったはずなんだ。儚く小さな体を抱き寄せながら、ふんわりと甘い体温を腕の中に閉じ込めてしまう。
「俺のこと、まだ詳しく話してなかったよな」
「…直樹くんの生まれのこと?」
「俺の親父――って言っても戸籍上は存在しないけど、月島幸彦って指揮者、有名だから知ってるよな?それで母親は若い頃、水商売してたとこを親父に見染められて愛人になったんだけど、俺が高三の時に胃がんで死んでる。その時、俺が音大落ちて親父に見限られたから縁は切れてて、もう十年以上連絡も取ってない。他の親戚とかも全然交流ないから、家族って言えんのはまあ、蒼と律ぐらいのもんだけど、あのふたりにしても戸籍上は他人だから――」
どこまで行っても、不釣り合いだ。
自分の生まれを辿りながら嫌気が差してくる。
本来なら背負わずに済んだはずの苦労を佳乃に掛けるだけで、俺が与えてやれるものなんて、本当に何もないんだ。
「――ごめん、こんな男で」
「な、なんで、そんな風に言うの……?」
「だって俺なんかと付き合ってるって言ったら絶対親とか親戚とか大反対だろ。自分でもさすがに誇れる出自じゃないのはわかってるから、余計に申し訳ないんだけど」
あともう少しでもまともな生まれだったら、まだ良かったかもしれない。当然のように両親がいる一般的な家庭に生まれていれば、佳乃に掛ける苦労も随分マシだったと思う。
でもどれだけたらればを考えたところで現実はなにも変わらないから。俺はどう足掻いたところで俺にしかなれず、穢れた出自を拭うことも、歪な戸籍を書き換えることも不可能で、きっと佳乃の重荷になる。
「そ、んなの、わたしだって同じでしょ?」
今にも泣き出しそうに震えた声。
まるで縋るみたいに、佳乃が俺の手を掴んだ。
「わ、わたしだって、ほんとだったら直樹くんが背負う必要のなかった苦労を押し付けて、あなたを不幸にするのもわかってて、それでも傍にいてほしいって、独り善がりなわがままで、あなたを縛ろうとしてる」
透明な涙がその白い頬を流れてゆく。
握り締められた手から清らかな体温が伝わって。
俺の人生なんかで良かったらいくらだって佳乃に全部あげるのに。今、傍に寄り添ってくれる儚く淡いこのひかりが、俺にとっては幸せの青写真のように思えて。
「でも、おねがい、もう嫌いにならないで……」
――懐かしい音楽が聴こえた。
南向きの窓の向こうに、青い空が広がっている。
あの時、背を向けたものがもう戻って来てはくれなくても。今、差し伸べられている手を取ることが出来たら、この美しい音は、永遠に俺のものでいてくれるだろうか?
「嫌いになんかなったことねえよ」
投げやりでみっともない俺のピアノを聴いた佳乃が、突然泣き出したあの夜。これまでずっと無様に抱え続けてきた俺の寂寥を撫でて、泣いてくれた綺麗なそのしずくに触れながら、俺は堪らなく救われたから。
世界を敵に回しても――なんて。
そんな格好良い台詞は似合うわけもないけど。
俺は佳乃と離れて平凡な日々をひたすら繰り返すより、佳乃と手を繋いで茨の道を歩きたい。誰に後ろ指を指されたって、佳乃さえ隣にいてくれるのなら、もう十分だから。
「それに俺は不幸にはならないって言ったろ?」
「…あれ、ちょっと気障だったね」
「でも泣いてたくせに」
困ったように目尻を垂らす佳乃の小さな体を強く抱き締めて、縋りつくようなキスをした。懸命に俺の口付けに応える佳乃が、けれど時折苦しそうに息を漏らすから、ああそうかまだ息の仕方すら知らないのかって。
みだりな破壊衝動が胸を突いた。
昨晩、触れた肌の柔さが今も指先に残っている。
「このまま抱きたいって言ったら怒る?」
背中から押し倒した佳乃を見下ろす俺には微塵も余裕などなく、せめて傷つけないようにと、今にも手を出してしまいそうな自分を抑え込むだけで精いっぱいで。
「で、でも、いま、まだお昼で……」
「昼間にはしちゃいけないって法律でもあんの」
「だ、だって、こんな、明るいの――」
「俺に全部見られんの嫌?」
染められた形跡もない長い髪にするりと指先を通しながら、強請るように佳乃を見つめた。戸惑うように俺を見つめる日本人らしい褐色の瞳が少し怯えている。
俺って、こんな強欲だったっけ?
結構弁えてる男のつもりで生きてきたんだけど。
「俺にだけ、見せてよ」
俺だけに許容された特権を振りかざしたいなんて餓鬼みたいだ。真っ赤な顔で目を潤ませる佳乃はふらふらと視線を泳がせ、弱々しく俺のTシャツの裾を掴む。
桃色をした小さな唇が薄く開いて。
そして今にも消え入りそうな声がささめくから。
「……げん、めつ、しないでね」
窓際では、身を寄せ合ったアルとハナがぐっすり午睡に耽っている。そのまま当分は目を覚ますなよと自分勝手に考えながら、俺は心配になるほど細くて軽い佳乃の体を抱き上げ、すぐ隣り合った寝室の扉を開けた。
「―――、んっ……ッ―…」
柔らかな唇をキスで塞いで閉じ込める。
脳髄がどろりと溶け出して、使い物にならない。
ベッドの上に押し倒した佳乃の体を組み敷くように覆い被さり、体の自由を奪った。拒まれているわけでもないのに、幼稚で傲慢な衝動が腹の底でぐるぐる暴れ回って。
「昨日、痛かったろ?」
「そ、んなこと、なか――あっ…!」
「否定するならもう手加減しないけどいいの?」
昨日の夜、出来る限り丁寧に優しくと自分を戒めながら佳乃を抱いたつもりだったけど。でも、経験のない女性の相手を務めた記憶なんかもう何年もなかったから、本当にあれで正解だったのかと聞かれると若干の不安は残った。
だが、控えめな膨らみの先を指で捏ねるだけで敏感に反応する佳乃は、恥じらうように俺から目を逸らした。もう片方の手でつぅ、と内腿を撫でると、秘すべきそこは下着の上から触れただけでも淫らに濡れているのがわかって、俺は思わず口角を持ち上げる。
「すげえ濡れてる」
「し、らな――あぁッ、んっ」
「もしかして結構才能あるんじゃない、佳乃」
十数時間前、入念にほぐした甲斐もあってか最初よりもやや余裕のあるそこを探ると、小さな泉が俺の指を締め付ける。薄らぼんやりとした静かな部屋に響く生々しい水音が、麗らかな昼下がりには不釣り合いで。
「どこ擦られんのが好き?」
「はぁ、やっ、なお、きく――…ッ」
眦から滑り落ちた涙のしずくは枕に吸い込まれて消えた。ピンと爪先が空を蹴る。強張った太腿をそのまま折り曲げるように持ち上げ、ショーツを剥いだそこに舌を這わせた。
「ねえ、なんで逃げんの?」
「ひ、あっ、やめっ、見な、いでっ」
「やだよ、俺に全部見せてって言ったじゃん」
真っ赤な顔を両手で覆いながらふるふると首を横に振って恥じらう佳乃の手首を掴んで強引に剥ぎ取った。すると悦楽と羞恥に濡れた瞳が、まるで縋るかのように俺を見上げるから、不埒な情欲が腹の底で蠢く。
我慢の利かねえ餓鬼かよ。
三十路も過ぎて、まじでどうかしてんな、俺も。
「――――ッ……、――」
ほとんど掠れて声にすらならない嬌声が腕の中にこぼれた。滑稽なほど猛ったものをまだ窮屈な佳乃の中心に埋めながら、苦しげな息を吐く恋人の額に唇を落とす。
「痛くない?」
「い、たくな、けど、――ッ」
「俺の首に腕回して、爪立ててもいいから」
首筋に回された佳乃の頼りない腕が心細げに俺にしがみつく。ゆっくりと律動をはじめれば、すぐ甘い泣き声が聞こえて、本当に痛いわけではなさそうだと安堵の息を漏らした。
お互い何も身に纏うものもなく正面から抱き合えば、否応なく肌と肌が触れ合って、混じり合った皮膚から体温が融解する。奥を突くたび佳乃の背筋は甘美に撓り、耳元を掠める吐息は猥雑なほど享楽的だ。
雪のように白い肌の上を陽光が転がる。
白昼に差すその光は、この、淫蕩にまみれた状況とはあまりに対照的で。
どうしようもねえな、と自嘲する。
本当なら触れてはいけないものを穢したようで。
けれどその対岸で歪んだ独占欲を満たしてもいるから、本当にクソだ。狭い箱庭の中に閉じ込められてきた無知で純粋なままの生き物を、今度は粗悪な自分の庭に閉じ込めてしまおうとしている。
もう、他の誰の手にも触れられない場所に隠して俺だけのものにしてしまおうって。矛先を誤った欲望だけを携えて、狂った執着に反吐が出る。他の男を今まで知らずにいた佳乃に、馬鹿らしい優越を抱いている俺は、誠実で心優しい男になんか一生なれない。
「――な、おきく、ん」
首筋に柔らかな唇が触れた。
切ない法悦にぬかるんだ瞳が俺を見上げて。
するりと頬に添えられた指先が慈しむみたいに輪郭をなぞるから。
「だい、すき、だよ」
ふわりと花が綻ぶように微笑む佳乃は、こんな時まで透明なままで。こんなにも不純で矮小な俺にはあまりに相応しくない過ぎた幸福を、それでも佳乃は惜しみなく与えてくれる。
咄嗟に抱き締めた優しいぬくもりがもう消えてしまわないように。柄にもなく、永遠なんてものを信じてもいない神に祈った。何よりも大切にすると誓うから、それ以外のものは何も俺に与えてくれなくていいから。
「……あんま煽んなよ」
「あ、おって、ッ――ないけどっ」
「もう絶対手離してやんねえから覚悟しといて」
足首を掴んでぐっと脚を折り曲げるように奥まで自分の熱情を貫く。逃げ惑う小さな手を掴んで枕にキツく押し付けながら、一心不乱に腰を振る俺は、もしかしたらどこかで進化論を辿り間違えたのかもしれない。
まるで色情に狂った猿みたいだ。
どこまで行っても俺は佳乃にはふさわしくない。
「あっ、ふあぁっ、な、おきくっ」
「品行方正なお嬢様がそんな顔してていいの?」
「ん――やぁっ、だっ、てぇ…!」
「ほんと馬鹿だね、佳乃」
俺なんかに騙されて、可哀想に。
でもそれは佳乃の自業自得だからしかたない。
健気に泣きながら俺に抱き着いてくる佳乃の背中に指を滑らせると、そんな些細な刺激にすら反応する。荒く乱れた息を吐く唇を自分のそれで塞ぐと、なにかが共鳴するかのように、俺の腕の中で甘く震えた。
「―――…、―――!………」
汗で額に張り付いた前髪を指で軽く払って、丸いそこに口付けを落とした。どこかうつろに焦点の揺れた佳乃の瞳が俺を見つけ、それが自分を追い込んだ張本人だと知っているくせに、ほっとしたように目尻を和らげる。
なおきくん、と舌足らずな声が俺を呼んだ。
それが堪らなく愛おしいから。
「無理させたよな、ごめん歯止め利かなくて…」
「ううん、そんなことないよ」
「風呂入る?」
佳乃は昼飯の前に軽くシャワーを浴びてはいたけど、考えてみたら随分疲れているだろうし、湯船に浸からせたほうが良かったかもしれない。今さらそんなことに気付いて、どんだけ余裕ないんだと自分の不甲斐なさを後悔してもあとの祭りだ。
佳乃は身重の猫のように気だるげな動作で寝返りを打つと、「お風呂はすごく入りたいけど…」と
億劫そうに呟いて、シーツに頬をすり寄せながら葛藤している。ひとまず適当に脱ぎ荒らした服を拾い上げ、Tシャツを頭から被り、佳乃にも服を着せた。
「俺が連れて行って差し上げましょうか?」
「…それは、なんかやだからいい」
「もうさすがにこれ以上はなんもしねえよ」
「だって、お風呂って恥ずかしくない…?」
「こんな散々見たし触ったあとで恥ずかしいとか今さらすぎじゃない?」
「それとこれとは話が別だもん」
うー…と枕に顔を埋めながらグズグズしている佳乃の背中から腕を回して抱き寄せると、ぴくんと軽く肩が跳ねた。情事の余韻がまだ色濃く残った熱っぽい肌にキスをすると、やだやだと腕の中で佳乃が小さく暴れる。
「もうなにもしないって言った!」
「は?別になんも変なことはしてねえだろ、今」
「した、絶対しました!」
「これだからウブなお嬢様は…」
やれやれと肩を竦めると不満げな瞳に睨まれた。
まあ、残念ながら迫力は皆無だけど。
小動物のようにちんまりした童顔は、どちらかと分類するまでもなく可愛らしい部類に入る顔立ちだろう。しかも佳乃は言動も大抵おっとりのほほんとしてるのもあって、威嚇されてもダメージは特にない。
「気にしてることを言わないでください」
「はは、俺は別に嬉しいけど?」
「嘘ばっかり、面倒臭いって思ってるんでしょ」
「なに拗ねてんの?」
むくれて俺に背中を向けようとする佳乃の手首を掴んで、横柄に腕枕をする。すると必然的に俺のほうに顔を向けなければならず、佳乃はやっぱり不服そうだ。
「ほんとに喜んでるよ、俺」
「…こんな年増のくせにって思わない?」
「好きな子の初めてもらえてそんなこと思う男は世界中どこ探してもいねえよ」
簡単に壊れてしまいそうに華奢な体を抱き寄せて頬にキスを注げば、照れ臭そうにはにかんで口元を緩める。今の言葉だけであっさり機嫌が直ったのか、甘えるみたいに俺にすり寄ってくる佳乃は多分アルより単純だ。
「…やっぱり一緒にお風呂入ろうかな?」
「ほんとよくそんな有様で今まで貞潔守ってきたよねえ、佳乃ちゃん」
「そんな有様ってどういう意味?」
「一生わかんないままでいて、俺のために」
不思議そうに俺を見つめる佳乃の長い髪に指を通しながら、誤魔化すようにキスをした。不純物を含まない無垢なその瞳が、どうかこの先も濁ることがないように。
控えめに恥じらう頬が赤く染まる。
これ以上のものなんて、何も要らないと思った。
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