触れる指先 偽りの恋
作務衣みたいな制服を着た店員さんが席に案内してくれる。すべて衝立で区切られた、半個室みたいな席だった。
「はい、どうぞ」
貴島さんがメニューをこちらに開いてくれる。
真ん中向きに置き直そうとすると、「大丈夫だよ。俺、食べるのいつも決まってるから」と言われた。
「へえ、どれなんですか」
「天ぷらそば。……あ、でも天ぷら別に頼んで一緒に食べようか」
「え、いやいや好きなもの食べてください」
「そう? じゃあ代わりに違う一品料理も頼もう。嫌いな食べ物ある?」
「んー、特にはないです」
「へえ。偉いね。俺はししとうがだめ」
「え? 天ぷらに入ってないですか……?」
「そうなんだよ。だから武井さん食べてね」
「ししとうが苦手ってって、なんでですか」
「子どもの頃に、すっごく辛いのにあたっちゃったことがあって。それ以来、食べようとするとぞわぞわーって鳥肌が立つんだよ。食べられないことはないんだけど」
「へえ」
「あ、信じてない? 食べられるよ。会食とかで出てきたらちゃんと残さず食べるし」
「別に疑ってるわけじゃないですよ?」
そう言うと、貴島さんは「でも何でも食べられるっていうのはいいね」と笑った。
「何を一緒に食べに行っても楽しそう」
「そう、ですね」
曖昧に頷く。そうでもしないと、また一緒に行ってくれるのではないか、と期待してしまいそうだった。
さんざん悩んだ結果、私はすだちそばにした。
まず、揚げそば、だし巻き卵、揚げ出し豆腐と一品料理が運ばれてくる。
取り皿に分けて、だし巻き卵をひとくち口に入れると「おいし」と思わず声が出た。
「でしょ?」
貴島さんが得意げに笑っている。
ほんのり甘いだしがじゅわっと口の中に広がっている。卵もふんわりしていて、いくらでも食べられそうだ。
それ以外も「えー、美味しい! 全部!」と何を食べても思わず頬を押さえてしまった。
「良かった。好きなんだこの店。昔から」
「全然知らなかったです」
「もう一軒、並びでおすすめのお店があるよ」
今度はそっちに行こうか、と貴島さんが言うのでこくこくと頷いた。
蕎麦が来てからは、二人とも無心で啜っていた。すだちそばは、薄切りされたすだちが丼一面に所狭しと並んでいて、見た目もインパクトがあった。濃い目のだしに、酸味が効いていて、つるつる食べられた。
いつもは通し勤務のあとだとぐったりして、コンビニ飯を買って帰るくらいなのに。美味しい食事で、疲れも癒やされる気がした。
「貴島さんは、自炊するんですか?」
食後の蕎麦湯を飲みながらそう尋ねると、すっと目線を逸らされた。
「いや、自炊はあんまり……」
「あ、そうなんですね」
「たまにはするよ? カレーとか。大きな鍋で作って、一週間くらいずっと食べてる」
「あはは。まあ一人暮らしでカレーって言ったら、そうなっちゃいますよね」
確かに、これで料理まで完璧だったら、逆に完璧すぎて嫌かも、と思っていると、
「今日もさ、気づいたら昼ごはん食べ損ねて。お腹空いたなって思ってたから」
武井さんと来られて良かったよ、と微笑まれた。
「私も、こんなに美味しいお店があるって知ることができて良かったです」
「この通り、いろんなお店があって楽しいんだよね」
「住んでるのに全然知りませんでした。損してますよね。もっとまわらなきゃ」
「じゃあさ、また来週にでも来ない……?」
「……え?」
「あ、いやじゃなかったら。また仕事終わりに待ち合わせて」
整った顔を、思わずきょとんと見上げてしまった。
「貴島さん」
「……はい」
「私、来週は連休なので」
日中でも大丈夫ですよ、と言うと、貴島さんが大きな手で自分の顔を覆った。
「え……?」
微かに除く耳が、少し赤い気がする。
「ごめん、なんでもない……。ってことはないんだけど。じゃあ来週は昼から散策しよう」
「はい」
そう言って頷くと、「楽しみだね」と貴島さんがまだ少し赤い顔をして笑った。