触れる指先 偽りの恋
 さすがに楢崎さんが閉店まで外で待っていることはないだろうけれど、もしかしたら時間を合わせて覗きに来る可能性はある。用があるなら話しかけてくれればいいのに、とも思うけれど、彼女の値踏みするような視線からは、「言いたいことがある」というよりは、「貴島さんの彼女はどんなものか」を見極めてやろう、というような雰囲気を感じた。
 もっとも、ふりなのだから、どれだけ観察されても仕方ないのだけれど。
 閉店時間を迎え、売り上げを締める。清掃などの作業をバイトリーダーに任せ、若干緊張して店を出た。

 先日と同じ場所、改札横の売店前に、貴島さんの姿が見えた。
 普段のスーツ姿に比べてラフな格好にドキッとする。
 シンプルなシャツに細身のパンツ姿なのに、すらりとした長身のせいか、やたら整って見えた。

「お疲れさま」

 まばらとはいえ人通りのある駅の構内で、ちらちらと貴島さんをふり返る女性がいる。そんななか、駆け寄って声をかけるのはなかなか躊躇われたけれど、貴島さんは私を見つけるないなや、ふっと表情を緩めたかと思うと、こちらに歩み寄ってきた。
 その自然な態度に、ほっと緊張感が抜けてゆく。

「すみません、わざわざ」
「こちらこそ申し訳ない。一応お店のまわりを見た感じ、大丈夫だと思うんだけど」

 どうやら早めに来て、辺りを確認してくれたらしい。
「ありがとうございます」と伝えると、貴島さんは首を振った。

「武井さんは巻き込まれ事故みたいなものだから」
 
 声を顰めた貴島さんは、ため息を吐く。

「本当に申し訳ない。まさかこんなことになるなんて」

 目を伏せる貴島さんに、慌てて首を振る。

「とんでもないです。むしろお休みの日に出てくることになっちゃってすみません。私が何も考えずに首を突っ込んだのが悪いので。いつも言われてるんです。武井の親切は、他人のことをちゃんと考えてるの? って」
「どういうこと?」
「お店でも、いろんな人につい手を出しちゃうんですけど。私がそれを始めたことで、店員だったり他のお客さんだったりが、おざなりになったりするわけじゃないですか。いろんな人がちょっとずつ嫌な思いをしているかもしれない。それなのに、そこまで手を貸すのは、自己満足なんじゃないかって」

 説明しながら、目の前にあるものしか見えていない自分の浅慮さが情けなくなってくる。

 ふいに、恋愛にも当てはまるな、と考えた。
 元カレだけじゃなくて、他のひとにも同じようなことを言われた。
 ふと考え込んでいると、貴島さんがこちらを覗き込む。

「大丈夫?」
「すみません、ちょっと色々思い出しちゃって。行きましょうか」

 わざわざ来てくれたのに、結局楢崎さんも現れなかったし申し訳なかったな、と思っていると、改札を抜けたところで貴島さんがふり返った。

「武井さん、時間ある? 夕飯でも食べて行こうか」と言った。
「え?」
「武井さんの駅の最寄りに、好きなお店があるんだ。知ってるかな、蕎麦屋なんだけど」

 お蕎麦屋さんなんて、駅横の立ち食い蕎麦屋しか知らない。首を振ると、「じゃあ良かったら」と貴島さんが言う。

「お腹空いてない?」
「空いてます、すごく」
「ははっ。それはそうだよね、仕事終わりだもんね。本当は明日ランチどうかなって思ったんだけど、日曜は定休日だったからちょうど良かった」
「すみません、わざわざ呼び出すようになっちゃって」
「全然。俺も、久しぶりに好きな店に行けたら嬉しいし」
 
 貴島さんのおすすめだというお蕎麦屋さんは、駅を出て私の家とは反対側にあった。
 商店街を一本奥に入った通りで、滅多に来たことがない場所だ。趣のある建物がずらりと並んでいる。その通りを進み、いくつかの店を通り過ぎた建物の前で、貴島さんが立ち止まる。店の軒先には提灯が吊り下がっていた。

 引き戸を開け中に入ると、店内には落ち着いたBGMが流れていた。黒やグレーなどシックな色味でまとめられている。
 照明や天井は和風なんだけれど、壁は煉瓦風だったりして、和洋折衷みたいな店舗だ。
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