触れる指先 偽りの恋
 貴島さんは散策する駅が変わっても、毎回私の最寄駅まで送り迎えをしてくれる。お互いに、反対方向に一駅だから、わざわざ送ってもらう必要はないはずなのに。改札を出る直前のところまで一緒にやってきては、「今日も楽しかったね」と言って、私が外に出て、姿が見えなくなるまで佇んでいる。
 多分、家を知られたくないかもしれない、という配慮なんだと思う。「気をつけて」と言って見送って手を振ってもらう貴島さんを見つめながら、少しだけ切なくなる。
 本当に付き合っていれば、互いの家を行き来したって、何の問題もないはずなのに、と。


 毎日連絡を取り合って、週に1回は一緒に出かけている。当然のことながら「好き」という言葉を交わすことはないけれど、自分が満たされているのを感じていた。
 何より貴島さんといると楽しい。貴島さんの話し方は穏やかで、すーっと頭に入ってくる。それでいて聞き上手で、私がちょっと不満に感じた仕事の愚痴や、思っていることをすらすらと聞き出してくれる。

「実は、本当は商品開発の仕事をしたくて」

 という話も、会話の中で自然と口にしていた。

「でもなかなか難しいです。社内コンテストとかにも出してるんですけど。多角的な視点が足りないって、よく言われて。多角的な視点って、なんなんだろって」

 そう溢すと、貴島さんは「俺は専門じゃないからわからないけど」と前置きしてから話し始めた。

「具体的な人を思い浮かべて考えてみたらどう? 例えば武井さんが接客した年配のご婦人、あの人だったらこういうものが美味しいって言ってくれるだろうけど、固すぎる部分は食べにくいかな、とか。じゃあお母さんと一緒に来た五歳の男の子だったらどれくらい甘いのが好きかな、とか、学校帰りに寄った高校生だったらどんなものを食べたいかな、とか。具体的なお客さんに当てはめて、何パターンも可能性を出す。年齢とか性別でざっくり括って考えるより、想像しやすいんじゃない?」
「なるほど……」
「武井さん、接客したお客さんのことよく覚えてるでしょ。そのひとりひとりを思い浮かべてみたらどうかな。その多角的な視点っていうの、普段からよく見える場所にいると思うよ」
「なるほど……」
「もちろん、俺だったら、ていうのも、考えてくれたら嬉しいし」
「え……?」

 こほん、と貴島さんが小さく咳払いをしている。
 もちろん、貴島さんだったらどう思うだろう、ということは常に考えている。
 元彼に指摘されて以来、一緒にいるひとが今どう思っているかは、気にしようと思っているから。

「俺がどんなものを好きで、どんなものを食べたいか――。考えてくれる?」

 真っ直ぐな目線を向けられて、慌てて頷いた。
 
「そっか。嬉しい」
「え?」

 どう言う意味だろう、と向けた視線は流されてしまった。

「それに俺だったら、武井さんが想像したことと合っているかどうか、その場で答え合わせができるでしょ」
「あ……」
「このメニューの中だったらこれが好きそうだけど、何に迷ってるのかなあ、とか。見ていて食べにくそうだなあって思ったけど、実際はどうですか? とか、なんでも聞いて」
「すごい……考えてもみませんでした。ありがとうございます」
「ううん。俺も似たようなこと考えて働いてるから、参考になったら嬉しい」
「はい! ありがとうございます。そうやって考えてみます」
「武井さん、よく食べたものの感想とかメモしてるもんね。ほんと、えらいな」

 貴島さんにそう微笑まれて、え、と声が漏れた。

「気づいてたんですか?!」

 こっそり携帯にメモするのは、貴島さんが席を立っているときだけにしているつもりだったのに。

「うん。最初は真剣な表情でスマホ見てるから心配だったんだけど、気づいてから安心した。もっと堂々とメモっていいよ」
「でも、話してる最中に感じ悪いかな、と……」
「全然。もう何してるかわかってるし。あ、よければ俺も感じたことを言うよ。そしたら感想も倍になるから。あ、でも味が微妙な時は、お店出てからにしよう」

 イタズラっぽく笑う貴島さんは、いつもよりだいぶ幼く見えて新鮮だった。

 こうやって私のやりたいことを後押ししてくれるのは、貴島さんが大人だからなのだろうか。
 
「ありがとうございます。頼りにしてます」
「うん。俺も武井さんに協力できると思うと嬉しい」

 ますます頑張ろう、という気持ちが湧いてくる。
 私は油断するとにやけてしまう口元を必死に引き締めたのだった。
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