触れる指先 偽りの恋
一緒に出歩くうちに、気づいたことがある。
貴島さんと一緒にいると、なぜか道に迷っているひとと出会う確率が高い。
高齢のご夫婦が初めて来た場所で、親戚の家がわからず困っていたときは、その場でさっと場所を調べて、わかりやすいところまで連れて行ってあげていた。
これまで恋人と一緒にいた場合に同じ出来事に遭遇したら、私が場所を調べて、元彼にはその場で待っていてもらい、迷っているひとを案内して走って戻ってくる、というパターンだったから、一緒に近くまで行ってくれる――しかも率先して貴島さんが調べて――というのは、新鮮だった。
ある日映画館に向かう途中、まだ小学校にも上がっていないような子どもが、ひとりでふらふら歩いているのを見かけたときは、「俺が行くと怖がらせちゃうかもしれないから、武井さん先に話しかけてきて」と背中を押された。結局近くに保護者がいなくて、交番まで連れていくことにしたのだけれど、泣きじゃくる子を貴島さんが肩車してあげたら、経験したこともない高さだったのか、途端にはしゃぎだして、お祭り騒ぎになったこともある。
交番で事情を説明したら、ちょうどその子の母親が先ほど問い合わせに来ていたらしく、すぐに迎えにきてもらえることになった。ほっとして、おまわりさんに任せようとしたら、迷子の子どもに「行かないで」と泣きつかれた。思わず貴島さんと顔を見合わせたけれど、その子は貴島さんのシャツをぎゅっと掴んで離さなかったので、その場で一緒に待つことにした。
借りた紙と鉛筆で絵を描いて過ごしているうちに、若い母親が飛び込んできて、母子が再会できたときにはほっとした。
何度も何度もこちらをふり返ってお辞儀をする母親と、描いた絵を大事そうに「持っていく」と言う男の子に、手を振って別れる。
「だいぶ、時間経っちゃったね」
「映画、もう始まっちゃいましたね」
見たいと共通の話題にのぼった映画は、もうとっくに上映開始時間が過ぎていた。
いつも飲食店に行くことが多かったから、それ以外の場所に、二人で出かけるのは初めてだった。でも、仕方ない。
「まあいいか。また今度にしよう」
他人のために躊躇いなく行動できる貴島さんは、素敵なひとだ。
私はまた、があることにほっとして、「はい」と頷く。
「欲しい本があるんだけど、本屋行っていい?」
「あ、私も探してる本あります」
じゃあ、と貴島さんが差し出した手を取る。
恋人のふりだから。いつからか、街中を一緒に歩くときは手を繋ぐようになっていた。
多分、最初はあまりに混んでいた繁華街を通り抜けるときに、はぐれそうだったから。 咄嗟に貴島さんの服を掴むと、それに気づいて切れ長の瞳が私を黙って見下ろしていた。
「あ、すみません……!」
慌てて離そうとした指先を、掴まれた。
ぐいっと引き寄せられて、まるで握手するように手を握られる。
「あ、の……」
「はぐれちゃいそうだから、ね?」
そう微笑まれて、真っ赤に染まった頬を自覚しながら、黙って頷く。
最初はまるで引っ張られるように歩いていたけれど、気づけば指と指を絡めて繋がれていた。
これなら多分、どこからどう見ても恋人同時に見えるはず。
それが本望なのだから、手を繋ぐのも必要なことだ。
そう言い聞かせて、逸る心臓を落ち着かせようとする。
自分の鼓動が、頭の奥まで鳴り響いているようだった。
でも、それも最初の数回のこと。
気づけば手を繋ぐことが当たり前になっていて、今では私も差し出された貴島さんの手を、何の疑いもなく取っている。
指先を絡めて歩くのなんて久しぶりなのに、あまりに自然としっくりくるのは、なぜだろう。
そっと隣を歩く貴島さんを見上げる。
何かハプニングに遭遇したときに「面倒くさい」と思わず行動するところが、何より好ましかった。
人間として好きな人と、男女間の好意とか、嫉妬とか、束縛とか、そういった面倒な感情に取り憑かれない関係は、一番理想的なのかもしれない。繋いだ手の意味は考えず、そんなふうに感じていた。
でもそれが起きたのは、ある日のことだった。
貴島さんと一緒にいると、なぜか道に迷っているひとと出会う確率が高い。
高齢のご夫婦が初めて来た場所で、親戚の家がわからず困っていたときは、その場でさっと場所を調べて、わかりやすいところまで連れて行ってあげていた。
これまで恋人と一緒にいた場合に同じ出来事に遭遇したら、私が場所を調べて、元彼にはその場で待っていてもらい、迷っているひとを案内して走って戻ってくる、というパターンだったから、一緒に近くまで行ってくれる――しかも率先して貴島さんが調べて――というのは、新鮮だった。
ある日映画館に向かう途中、まだ小学校にも上がっていないような子どもが、ひとりでふらふら歩いているのを見かけたときは、「俺が行くと怖がらせちゃうかもしれないから、武井さん先に話しかけてきて」と背中を押された。結局近くに保護者がいなくて、交番まで連れていくことにしたのだけれど、泣きじゃくる子を貴島さんが肩車してあげたら、経験したこともない高さだったのか、途端にはしゃぎだして、お祭り騒ぎになったこともある。
交番で事情を説明したら、ちょうどその子の母親が先ほど問い合わせに来ていたらしく、すぐに迎えにきてもらえることになった。ほっとして、おまわりさんに任せようとしたら、迷子の子どもに「行かないで」と泣きつかれた。思わず貴島さんと顔を見合わせたけれど、その子は貴島さんのシャツをぎゅっと掴んで離さなかったので、その場で一緒に待つことにした。
借りた紙と鉛筆で絵を描いて過ごしているうちに、若い母親が飛び込んできて、母子が再会できたときにはほっとした。
何度も何度もこちらをふり返ってお辞儀をする母親と、描いた絵を大事そうに「持っていく」と言う男の子に、手を振って別れる。
「だいぶ、時間経っちゃったね」
「映画、もう始まっちゃいましたね」
見たいと共通の話題にのぼった映画は、もうとっくに上映開始時間が過ぎていた。
いつも飲食店に行くことが多かったから、それ以外の場所に、二人で出かけるのは初めてだった。でも、仕方ない。
「まあいいか。また今度にしよう」
他人のために躊躇いなく行動できる貴島さんは、素敵なひとだ。
私はまた、があることにほっとして、「はい」と頷く。
「欲しい本があるんだけど、本屋行っていい?」
「あ、私も探してる本あります」
じゃあ、と貴島さんが差し出した手を取る。
恋人のふりだから。いつからか、街中を一緒に歩くときは手を繋ぐようになっていた。
多分、最初はあまりに混んでいた繁華街を通り抜けるときに、はぐれそうだったから。 咄嗟に貴島さんの服を掴むと、それに気づいて切れ長の瞳が私を黙って見下ろしていた。
「あ、すみません……!」
慌てて離そうとした指先を、掴まれた。
ぐいっと引き寄せられて、まるで握手するように手を握られる。
「あ、の……」
「はぐれちゃいそうだから、ね?」
そう微笑まれて、真っ赤に染まった頬を自覚しながら、黙って頷く。
最初はまるで引っ張られるように歩いていたけれど、気づけば指と指を絡めて繋がれていた。
これなら多分、どこからどう見ても恋人同時に見えるはず。
それが本望なのだから、手を繋ぐのも必要なことだ。
そう言い聞かせて、逸る心臓を落ち着かせようとする。
自分の鼓動が、頭の奥まで鳴り響いているようだった。
でも、それも最初の数回のこと。
気づけば手を繋ぐことが当たり前になっていて、今では私も差し出された貴島さんの手を、何の疑いもなく取っている。
指先を絡めて歩くのなんて久しぶりなのに、あまりに自然としっくりくるのは、なぜだろう。
そっと隣を歩く貴島さんを見上げる。
何かハプニングに遭遇したときに「面倒くさい」と思わず行動するところが、何より好ましかった。
人間として好きな人と、男女間の好意とか、嫉妬とか、束縛とか、そういった面倒な感情に取り憑かれない関係は、一番理想的なのかもしれない。繋いだ手の意味は考えず、そんなふうに感じていた。
でもそれが起きたのは、ある日のことだった。