触れる指先 偽りの恋
 電話を掛けたことは覚えていても、話した内容までは記憶にない。いったい何を言って、どれだけ情けない醜態を晒したのだろう。
 好きな人の前では、もっとちゃんとしていたかった。
 酔っ払って、声が聞きたくなったことは覚えている。あわよくば、会いたいと思ったことも。もしかして、私が貴島さんを呼び出したのだろうか。
 普通に迷惑な話だろう。しかも「迎えにいった」、と貴島さんは言っていた。考えてみれば、そのお礼もちゃんと伝えられていない。
 いろんなことが一度に起きて、もう頭の中がパニックだ。
 え、まさか「好き」なんて口走ってないよね……?
 もう何も信じられない。

 
 何とか自宅にたどり着き、シャワーを浴びて、洗濯機を回し、家中の掃除をした。何かをしてないと、ため息ばかりついてしまうからだ。
 それでもなかなか気持ちは晴れない。
 ふと掃除機を手に外を眺めていると、着信音が鳴った。メッセージだ。
 貴島さんからだった。慌てて開く。

「ちゃんと帰れた?」と書いてあって、それすら伝えていなかった自分にまた自己嫌悪する。

 ――すみません。ちゃんと帰れました。本当にご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。

 一気に打ち込むと、読み返さずに送信ボタンを押した。考えたら、もう送れないような気がしたからだ。
 するとすぐに返事が届いた。怖い。呆れられていたらどうしよう。
 そう思いながら、震える手でメッセージを開く。
 すると。
 
 ――明日の予定はどうですか。

 と書いてあった。確かにここずっと、休みの日は一緒に出掛けていた。
 結果的に今日は約束していないので、出かけるなら明日だ。

 でも。
 
 ――すみません。今週はちょっと用事があって。

 そう返事をした。会いたいのは事実だ。
 でも自分が何をしでかしたかはっきりしない今、今日の明日で会う自信がない。
 
 それに、あくまで恋人のふりをしているだけ。
 ただ本当に好きになってしまった今、どんな態度を取ればいいのかわからない。少し、考える時間が欲しかった。

 ――わかった。じゃあまた来週にでも。

 貴島さんからそう返事がきてほっとする。だけど、ああ早く来週末になってほしい。そう思ってしまうほど、貴島さんと一緒に過ごしたいのだ、と気付かされた。

 貴島さんに会わない週末は長かった。落ち着くために普段見て見ぬふりをしていた部分まで掃除をし、スーパーに行って食材を買い込み、大量の料理を作り置きをした。
 それでも時間が余ってしまってめずらいく洋服でも買おうかと出掛けたけれど、貴島さんはどんな格好が好みだろう、と考えてしまったら、結局何も買えなかった。

 というか、今まで店舗と家を往復するだけだったし、服装には全然気を配っていなかった。あんなに見目整った人と並んで歩いているのに、デニムにシャツ、あとはコート、みたいなやる気のない格好だったなと反省する。というか、そんな質素な服ばかり着ている自分はどう思われていたのだろう。今更後悔してもしきれない。

 たった1日で世界が変わってしまったようだった。今まで気にならなかった些細なことが全部気になって、ひとつの行動を取る前に、考え込んで止まってしまう。
 こんな不安になるのは、初めてかもしれない。
 今まで、恋人と付き合うときは、告白されて何となく付き合い始めることが多かった。もしかしたら好きになれるかもしれない、という程度の気持ちで付き合っていたのだと、改めて気づいた。
 それでは、「何か違う」と振られて当然だ。
 自分から好きだと思うと、こんなに不安になるのだから。
 
 結局自分からメッセージを送ることはできず、月曜日の朝、起きると貴島さんから連絡が入っていた。

 ――おはよう、昨日はよく休めた?

 と気遣ってくれる内容だった。けれど介抱してもらったときのことに触れられていないのが、逆に不安すぎる。
 自分から蒸し返しづらくて、朝の挨拶と今日は早番です、という無難な内容を返信して仕事へ向かった。
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