触れる指先 偽りの恋
 貴島さんは、ヨーロッパ出張に行くらしい。フランスとオランダをまわって来ると連絡があった。どちらも食品を輸入している取引会社があるそうだ。
 もし好意がなかったとしても、元カノと一緒に海外出張に行くなんて嫌だなあ、と思ってしまう。
 ただ、私はその感情を伝える立場にない。
 
 朝、出勤前に立ち寄ってくれることもあるけれど、その時私は斉藤くんと一緒にいるので、話すことも儘ならなかった。私は、少しでも姿を見られるだけで嬉しいんだけれど。
 最近の帰りは、私が遅番の日ですら、貴島さんのほうが遅かった。

「帰ってきたら落ち着くと思うから、また一緒に出かけよう」という連絡が届いて、何と返事をしたらいいかわからないまま、ぼんやりとスマホの画面を見つめてしまった。

 確かに、相原さんだって「付き合っていた」とは言っていたけど、今も好きだとは言っていなかったし……と家に帰って悶々と考えていたら、突然スマホが震えた。
 慌てたら取り落としそうになってしまって、慌てて掴む。発信者を見て、さらに焦りながら通話ボタンを押す。

「も、もしもし」
「あ、武井さん。良かった、繋がった」
「え?」
「いや最近全然タイミングが合わなかったから」

 電話の向こうで、人のざわめきが聞こえる。外、とは違うようだけれど……。

「もしかして、まだ会社ですか?」
「うん。明後日出発なんだけど、ここのところトラブル続きで」
「そうなんですか、大変ですね……」
「タイミングが悪くて。でも何とか行って帰ってくる。お土産買ってくるから」
「あ、はい。でもお仕事大変でしょうし、無理はしないでくださいね」
「ありがとう。でも行っちゃえば、逆に大丈夫だと思う。こっちのトラブルはもう、任せるしかないからね」
「なるほど」

 そういうものなのか、と思いながら電話を握りしめる。
 相原さんのことを聞きたい、と思いながら、電話で聞いてもいいものだろうか、と躊躇いが生まれた。

「帰ってきたら、話したいことがあるんだ。電話じゃなくて、直接話したいから、また会ってくれる?」
「……わかりました」

 ぎゅっと手に力を込める。私も、直接会って聞いたほうが良いような気がした。

 と、電話の向こうで「課長!」と呼ぶ声が聞こえる。
 貴島さんが、大きくため息をついた。

「はー、せっかく電話できたのに、呼ばれちゃったから戻る」
「はい、無理しないで、行ってきてくださいね」
「はい。行ってきます」

 じゃあまた、と言って電話はあっさりと切れた。
 頭の中に貴島さんの低い声が残っていて、スマホの触れていた耳がいつまでも熱かった。
 ただ私は久しぶりに話せたことが嬉しくて、舞い上がっていた。それですっかり伝え忘れていたのだ。自分が、本社に移動する話を。
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