触れる指先 偽りの恋
 貴島さんの家は、駅から5分ほどのデザイナーズマンションだった。
 コンクリート打ちっぱなしの、シックな建物。外観からして、私の暮らすアパートとは比べ物にならないほどおしゃれだ。

 前回お邪魔したときは、あまりに動転していて記憶に残っていなかったけれど、間取りも1DKのうちとは比べられないほど広かった。
 リビングとダイニングは繋がっていて、開放感がある。それぞれ大きな窓があって、ブラインドカーテンが下りていた。リビングには、壁掛けのテレビにテーブル。それに私がこの前寝かせてもらった大きなソファ。
 ダイニングも四人が座れそうなテーブルセットが置かれていて、家族連れでも生活できそうだ。
 それ以外に、寝室として使っている部屋があるらしい。

「でも部屋これだけだし、そんな大して広くないよ」と言った貴島さんは、私をソファに座らせると、お茶を淹れてくれた。
 ここに美弥子さんも来たのだろうか、と考えていたのを見透かされたのか、「引っ越してきて一年くらいだから、まだ物も少ないしね」と貴島さんが言った。
 あまりのタイミングの良さに、思わず顔を見つめてしまい、「どうしたの?」と訊ねられた。
 
「いいえ、何でも……」
 
 慌てて首を横に振る。

「武井さんの荷物、置いていってね」

 そう言われて、おずおずと頷く。本当に置いて帰るかどうかはともかくとして、そう言ってもらえることが嬉しかった。

「必要なものも、買い揃えたらいいし」
「え?」
「うち、食器とかほとんど無いし。他にも武井さんがいる時に、必要だなって思うもの、置いておきたいから。明日、買い物でも行く?」
「そ、そうですね……」

 貴島さんがソファの隣に座って、ぐっと近づいた距離に、しどろもどろの返事になってしまった。
 大きく仰け反ったけれど、貴島さんの手が頬に触れた。指先はまるで熱を持ったように熱いけれど、それは私の頬の方かもしれない。それくらい、二人の境界線が曖昧になったような気がした。その甘さに身を委ねていると、ぐっと貴島さんの顔が近づいて、唇が重なった。

 一度離れても、啄むようにすぐにまた唇が落ちてくる。何度も何度も繰り返し口付けられて、頭のなかが沸騰しそうになる。と、同時に唇を合わせていることがなぜかしっくり――というのもおかしな話だけれど――くるような気がした。重なった唇が気持ちよくてうっとりしていると、ぺろりと唇を舐められた。
 この前はそんなキスをしなかったから、驚きで肩を竦めてしまう。

「どうしたの?」と笑みを含んだ声で訊ねられ、ふるふると首を振る。
 それでは許してもらえないのか、何度も唇を舐められた。
 
「だって、こんなキス……初めてした、か、ら……っ」

 途切れ途切れにそう伝えると、貴島さんが「そうだっけ」と呟いた。
 小さく疑問の声を上げれば、目の前の瞳が少しだけ細められる。

「ああそうか。武井さんは覚えてないのか」
「え……?」
 
 今度こそ、はっきりと訊ねたつもりなのに、貴島さんの瞳はいっそう意地悪な笑みを浮かべた。

「俺は覚えてるよ。ここでキスをするのは二度目だから」
「え、う、そ……?」

 何のことを言っているのだ。頭が疑問でいっぱいになる。
 しかし前にここに来たとき――それはつまり、自分がひどく酔っ払っていたあの日のことで。
 もしかして、その時に……?
 記憶の糸を辿ろうとしたものの、思考はそこで止まってしまった。
 唇の、開いた隙間から、舌が入り込んできたからだ。
 そのことに気づいた瞬間、ぞくぞくと背中が震えた。
 歯列を舐められ、舌を吸われる。じゅっと音がするくらい強く吸われて、頭の奥が痺れた。どんなに逃げようとしても、簡単に追い詰められ、絡め取られる。
 ぎゅっと貴島さんの服の襟を握りしめていると、ようやく唇が離れていく。
 二人の間を銀糸が伝っていくのが見えて、また顔に熱が上った。

「もっと、触っていい?」

 もう十分触っているのになぜ、と思いながら頷くと、貴島さんの瞳がすっと細められた、気がした。頬に触れていた指が滑るようにおりてきて、ブラウスのボタンにかかる。
 あ、っと思っている間にボタンは次々と外されて、気づけば前をはだけられた。下着が露わになって、咄嗟に腕で隠しながら目の前の貴島さんの胸に飛び込んだ。

「嫌?」

 窺うように訊ねられて、ふるふると首を横に振る。

「電気は消してほしいです……」
 
 煌々と照明の灯った場所では恥ずかしい。そう訴えると、「ごめん。焦りすぎだな」と苦笑いを浮かべながら、貴島さんはリビングの照明を落としてくれた。
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