触れる指先 偽りの恋
密かな約束
オフィスビルからの来客が見込めない土曜日は、営業時間が短い。
なので、社員は私か店長のどちらかが通しで出勤する。今週は私の番だ。
日曜は定休日なので、二週間に一度は土日の連休が取れると思うと、飲食店にしてはなかなか恵まれた環境だと思う。
オープン前の作業はアルバイトさんに任せ、出勤してレジにお金をセットしていると、ガラス窓の向こうに、遠くからこちらを窺う人影が見えた。
オフィスカジュアルというよりは、どちらかと言うとピラピラした格好だなと思ってしまった。ピンクの花柄のワンピースに、ヒールの高いミュール。楢崎さんだ。
休日だから別にいいんだろうけれど、と思いながら、歩いてくる様子を視界の片隅に収める。けれども、彼女は正面の自動ドアの前に移動すると、そこで立ったまま、しばらく動かなかった。
土曜日は九時オープンだ。まだ十五分ほどあるので、自動ドアのスイッチは入れていない。だから開くはずはないのだけれど、それでも彼女が突撃してくるんじゃないかと、一瞬どきりとしてしまう。
「武井さん、お客さんいますけど……」
楢崎さんに気づいたバイトさんにもそう言われて、「うーん、でもさすがに早いから、しばらく待っていただこう」と答える。
時々そっと目線を上げて確認するけれど、一向に立ち去る気配がない。
オープンは、私とアルバイト一人しかいない。トレーニング中のため、バイトの子がドリンクを作ることになっている。つまりレジで対応するのは100%私だ。
突然怒鳴りつけられたりしないよね、と思いながらも、彼女がどう行動するか全く読めなくて、憂鬱な気分になる。でもレジをセットし、テーブルを拭いていたらあっという間に開店時間になってしまった。
「いらっしゃいませ」
開店時間ちょうどになって自動ドアの電源を入れる。その瞬間、カツカツとヒールの音を響かせながら楢崎さんが入ってきた。
「このセットで、アイスコーヒー」
モーニングメニューを見ながら簡潔に注文していく様子に気押されながらも、何事もなかったように接客していく。
タッチ決済の端末を向けるときに、手が少し震えてしまったが、気づかれただろうか。
楢崎さんは特に何を言うわけでもなく商品を受け取ると、よく貴島さんが座っているソファ席のひとつに座った。
一時間ほど居座った彼女だったけれど、結局何も言わずランチ前には出て行った。正直、店が暇なのでしょっちゅう視界に入ってしまい、こちらはずっと落ち着かなかった。
貴島さんがいつも座っているソファ席からは、こんなにもよくレジが見えるんだな、と再確認してしまった。
スマートフォンをいじりながら、時々こちらをじっと見つめてくる楢崎さんは、正直言って不気味だった。でも彼女は彼女で、貴島さんのことが本当に好きなんだろうな、とも感じた。わざわざ休日に、様子を見にくるだなんて。
それに、彼がいつも座っている席まで把握しているわけだし。
それでもまた現れたら嫌だなあと思いながら閉店まで働いたけれど、楢崎さんはそれ以降姿を見せなかった。
――今日、オープンと同時に楢崎さんが来ました。特に話しかけられたりはしなかったんですが、気をつけた方が良いかもしれません。
休憩中、貴島さんにそうメッセージを打つと、着信があった。
「はい」
「もしもし、武井さん? 今大丈夫?」
「はい、休憩中なので」
バックヤードなので自然と小声になる。
「そっか。ごめんね、まさか休みの日に楢崎が行くとは思わなくて」
「全然。特に話しかけられたりしたわけじゃなかったので」
「でも心配だから、仕事終わりに合わせていくよ。十八時までだっけ?」
「はい、ちょっと過ぎるかもしれないですけど」
「大丈夫。お店の前で待ってるから」
じゃあ後で、と言って電話は切れた。
なので、社員は私か店長のどちらかが通しで出勤する。今週は私の番だ。
日曜は定休日なので、二週間に一度は土日の連休が取れると思うと、飲食店にしてはなかなか恵まれた環境だと思う。
オープン前の作業はアルバイトさんに任せ、出勤してレジにお金をセットしていると、ガラス窓の向こうに、遠くからこちらを窺う人影が見えた。
オフィスカジュアルというよりは、どちらかと言うとピラピラした格好だなと思ってしまった。ピンクの花柄のワンピースに、ヒールの高いミュール。楢崎さんだ。
休日だから別にいいんだろうけれど、と思いながら、歩いてくる様子を視界の片隅に収める。けれども、彼女は正面の自動ドアの前に移動すると、そこで立ったまま、しばらく動かなかった。
土曜日は九時オープンだ。まだ十五分ほどあるので、自動ドアのスイッチは入れていない。だから開くはずはないのだけれど、それでも彼女が突撃してくるんじゃないかと、一瞬どきりとしてしまう。
「武井さん、お客さんいますけど……」
楢崎さんに気づいたバイトさんにもそう言われて、「うーん、でもさすがに早いから、しばらく待っていただこう」と答える。
時々そっと目線を上げて確認するけれど、一向に立ち去る気配がない。
オープンは、私とアルバイト一人しかいない。トレーニング中のため、バイトの子がドリンクを作ることになっている。つまりレジで対応するのは100%私だ。
突然怒鳴りつけられたりしないよね、と思いながらも、彼女がどう行動するか全く読めなくて、憂鬱な気分になる。でもレジをセットし、テーブルを拭いていたらあっという間に開店時間になってしまった。
「いらっしゃいませ」
開店時間ちょうどになって自動ドアの電源を入れる。その瞬間、カツカツとヒールの音を響かせながら楢崎さんが入ってきた。
「このセットで、アイスコーヒー」
モーニングメニューを見ながら簡潔に注文していく様子に気押されながらも、何事もなかったように接客していく。
タッチ決済の端末を向けるときに、手が少し震えてしまったが、気づかれただろうか。
楢崎さんは特に何を言うわけでもなく商品を受け取ると、よく貴島さんが座っているソファ席のひとつに座った。
一時間ほど居座った彼女だったけれど、結局何も言わずランチ前には出て行った。正直、店が暇なのでしょっちゅう視界に入ってしまい、こちらはずっと落ち着かなかった。
貴島さんがいつも座っているソファ席からは、こんなにもよくレジが見えるんだな、と再確認してしまった。
スマートフォンをいじりながら、時々こちらをじっと見つめてくる楢崎さんは、正直言って不気味だった。でも彼女は彼女で、貴島さんのことが本当に好きなんだろうな、とも感じた。わざわざ休日に、様子を見にくるだなんて。
それに、彼がいつも座っている席まで把握しているわけだし。
それでもまた現れたら嫌だなあと思いながら閉店まで働いたけれど、楢崎さんはそれ以降姿を見せなかった。
――今日、オープンと同時に楢崎さんが来ました。特に話しかけられたりはしなかったんですが、気をつけた方が良いかもしれません。
休憩中、貴島さんにそうメッセージを打つと、着信があった。
「はい」
「もしもし、武井さん? 今大丈夫?」
「はい、休憩中なので」
バックヤードなので自然と小声になる。
「そっか。ごめんね、まさか休みの日に楢崎が行くとは思わなくて」
「全然。特に話しかけられたりしたわけじゃなかったので」
「でも心配だから、仕事終わりに合わせていくよ。十八時までだっけ?」
「はい、ちょっと過ぎるかもしれないですけど」
「大丈夫。お店の前で待ってるから」
じゃあ後で、と言って電話は切れた。