おまじないの力
日曜日の午後、少しだけ雲の多い空を見上げながら、私は駅の改札を抜けた。

 緊張で、朝から何度も鏡を見て、服を変えて、バッグの中を確認して……
 こんなに時間をかけて出かけるのは、たぶん初めてだった。

 

 改札の近く、柱のそばに立っていたのは千歳くん。

 白いシャツに、淡いグレーのカーディガン。ラフだけど品のある服装。
 落ち着いた表情でスマホを見ていた彼が、私に気づいて顔を上げる。

 

「……葉月ちゃん」

「お待たせしました」

「ううん、俺も今来たとこ。……その服、すごく似合ってる」

「え……ありがとう。千歳くんも……なんか、私服って新鮮」

「そっか。張り切りすぎないようにしたつもりなんだけど、けっこう緊張してる」

「……私も。ずっとドキドキしてる」

 

 自然に笑い合った瞬間、ふわっと心が軽くなった。

 

「映画の時間、ちょうどいいね。行こっか」

「うん」

 

 ショッピングモールの中は、日曜だけあって人が多い。
 でも、千歳くんが歩幅を合わせてくれるから、不思議と落ち着いて歩けた。

 

「ポップコーン……食べる?」

「え、もちろん」

「味、どうする?バター?キャラメル?塩?」

「悩む……」

「じゃあ、ミックスにしよう。ふたりで半分こ」

「……いいの?」

「うん。“初デートだから、なんでも半分”っていうルールにしよっか」

 

 照れくさくて笑ってしまった。
 でも、“初デート”って、彼の口から聞けたのがうれしかった。

 

 館内に入り、ふたり並んで中央の席へ。

 スクリーンがゆっくり明るくなり、照明が落ちる。
 映画が始まった――

 

 美しいヨーロッパの街並みに潜む、謎。
 歴史の陰に隠された秘密と、次々に巻き起こる事件。
 私は瞬きも忘れるほどスクリーンに引き込まれていた。

 

 暗号、陰謀、逃走劇――
 そして、登場人物たちの息をのむような選択。

 

 ある場面で、突然銃声が響き、
 画面が大きく揺れた瞬間――

 

 私は思わず、隣の千歳くんの手をギュッと握ってしまった。

 

「……っ」

 

 しまった、と思った。すぐに手を引こうとしたけれど――
 千歳くんは、何も言わずにその手をやさしく包みこんでくれた。

 

 強くもなく、弱くもなく。
 まるで、「大丈夫だよ」って言葉の代わりみたいに、そっと。

 

 その瞬間、映画の中よりも現実のこの手の中のぬくもりのほうが、
 ずっとずっと、心に残った。

 

 映画は、最後に希望が見える形で終わった。
 観終えたあと、私は小さくため息をついて、こぼれそうな涙をごまかすように笑った。

 

「……よかったね」

「うん。最後、安心した」

「泣いた?」

「……ちょっとだけ」

「これ、使って」

 

 そっと渡されたハンカチは、やさしい香りがした。

 

「……途中、手……ごめんね」

「ううん。うれしかったよ」

「……ほんとに?」

「“今日、来てよかったな”って思った」

 

 その一言だけで、私の胸の奥が、じんわりあたたかくなった。
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