おまじないの力
映画館を出たあとも、私たちはしばらく無言だった。

 無言といっても、気まずいとか、話題がないとか、そういうのじゃない。
 ただ、さっきまで観ていた物語の余韻と、彼の隣にいる心地よさが、
 何も言わなくても許してくれている気がした。

 

 ショッピングモールの中をゆっくり歩きながら、千歳くんが私の横顔をちらっと見て、言った。

 

「……葉月ちゃん、お腹すいてない?」

「え……うん、すいてるかも。映画観てたら、気づいたらお腹鳴りそうだった」

「ふふ、それは大変だ。じゃあ、何か食べよっか」

 

 自然な提案だったのに、私は少し戸惑ってしまった。

 何を食べたいかなんて、普段ならすぐ決められるのに、今日はなんだか緊張して決められない。

 

「なに食べたい?」と千歳くんがやさしく聞いてくる。

 その声に、なぜか胸がぎゅっとなる。

 

「うーん……なんでもいい、かな。……というか、千歳くんが決めてくれたら、うれしいかも」

 

 本音だった。優柔不断というより、彼の選んだものなら間違いなく“正解”になる気がして。

 

「そっか。じゃあ……あっちにちょっと落ち着いたイタリアンのお店があったから、そこにしない?」

「うん、いいね。パスタとか食べたかったかもって今思った」

「ふふ、じゃあ結果的にベストチョイスだったね」

 

 彼のこういう“自然に寄り添ってくれる”ところが、すごく好きだなって思う。

 

 

 店内は、思っていたよりも静かで、テーブルの間隔も広めだった。

 周りには、カップルもファミリーもいたけれど、私たちの空間は小さくて、でも穏やかだった。

 

「ピザとパスタ、一個ずつ頼んで、半分こしようか」

「うん、食べきれるかな」

「食べられなかったら、俺が頑張るよ」

「え、優しい」

「初デートだからね。……というか、俺がたくさん食べたいだけかも」

「正直でよろしい」

 

 思わずふたりで笑ってしまう。

 映画を観てたときより、ぐっと距離が近づいた気がして、私はグラスの水に視線を落とした。

 

 料理が運ばれてくる間、私たちは映画の話をした。

 

「あのシーン、すごくなかった?」

「うん、銃声のとこ……本気でビクッてなった」

「それで……手、握ってくれたよね」

「……あ、あれは……びっくりしちゃって、思わず」

「びっくりでも、よかった。びっくりありがとう」

「ふふ……何それ」

 

 話しているうちに、どんどん緊張が溶けていく。
 彼の前だと、素直な言葉が出てくるのが、自分でもちょっと不思議だった。

 

 やがて料理が届いて、香ばしいチーズとトマトソースの香りにふたりで「わあ」と小さく声をあげた。

 

 千歳くんがパスタを少し取り分けてくれながら、言う。

 

「……ねえ」

「うん?」

「こうやって食事するの、すごく自然だなって思って」

「……自然?」

「うん。初デートって、もっと力入っちゃうものかと思ってたけど、葉月ちゃんとだと、すごく……楽」

 

 胸の奥が、じんわりと熱くなった。

 

「……私も。同じこと、思ってた」

「そっか。よかった」

 

 ピザを一口食べた千歳くんが、「あ、これ当たり」と満足そうに笑う。

 私もまねして口に入れて――ほんとに美味しくて、思わずふたりで目を合わせて笑った。

 

 日曜の夜。モールの賑やかさの中で、私たちの時間だけが、ゆっくり流れていた。
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