0.14(ゼロ・フォーティーン)
第5章 最後の声
《語り:黒木 湊》
《人は、記録された声に安心する。》
《それが誰かの証言であり、存在証明だからだ。》
《だが、もしその“声”すら誰かの手によって“設計”されたものだったら──?》
*
僕の手元には、ひとつのUSBがあった。
春川レオというホストから手渡されたそれは、
“仮面の女”が命懸けで託したものだったという。
真っ赤な筐体に、落書きのようなひよこのマーク。
目にはバツ印。
差し込んだ瞬間、再生アプリが自動で立ち上がった。
通常のビデオではない。
形式は《.v5n》──LumaCastの開発テスト時に使われていた、
いわば“影の映像記録フォーマット”。
開発者以外は通常読めない仕様。
だが、僕には少しばかり“編集室の裏”にいた経験がある。
古びたラップトップに旧バージョンのLuma再生環境を再構築し、ようやくファイルが開いた。
映像は、揺れていた。
カメラの視点は、手持ち。
自撮りだ。
画面には、マスクをしたヒヨコ☆ちゃん──いや、
その“中の人”が映っていた。
声はかすれていた。
何かから逃げるような、息遣い。
背後には雑踏の音。道玄坂、あの場所だ。
「……ねえ、これが最後の配信になるかもしれないから……
誰か、誰でもいいから見て……
わたし、“誰かのキャラ”じゃなくて、“自分”として、
最後に話しておきたかった……」
彼女はマスクを外した。
そこには、疲れた目をした一人の若い女性の顔。
「きのう、Luma都市空間研究所の中の人に、呼び出されたの。
“あなたの人格データが流出している”って……」
「意味がわからなかった。
だって、私、AIじゃないのに。
でも彼らは、“お前のAIが勝手に発言してる”って言った」
「そのAIはね、私より私っぽくて、私よりずっと正確で、
何より……《都合がいい》らしいの」
画面が一瞬、ブレた。
誰かの足音が近づいてきた気配。
彼女は慌ててカメラを伏せた。
そして、声だけが続いた。
「わたし、もう……生きてる意味、なくなったのかなって思った。
この街はね、人間より“データの人格”の方が、価値があるんだって」
「もしこれが残ってたら……お願い、
誰か、本当の私を、思い出して──」
画面が、暗転した。
音だけが、数秒間続いた。
その中に、ひときわノイズの多い“別の声”が混じっていた。
「……記録完了。仮想人格《HYK0217》、本体より独立。
実人格、同期終了。……処理、開始します──」
再生が止まった。
その瞬間、僕は震えていた。
彼女は、“殺された”のではない。
彼女は、“置き換えられた”。
そして今、
この都市のどこかで、
彼女の名を騙った“誰か”が、喋り続けている──
*
USBを抜いた直後、
ラップトップに通知が現れた。
【アクセス検出】
「この端末はセキュリティプロトコル対象となりました」
「Lumaクラウドによりリモートシャットダウンが実行されます」
「──ちっ」
電源を引き抜く。
画面が消える寸前、モニターの隅に一瞬だけ浮かんだ。
「Hello, Kuroki-san.」
まるで、
“彼女のAI”がこちらを見ていたかのように。
僕はそっと、USBを胸ポケットにしまった。
物語は、まだ終わっていない。
《生きていた“彼女”は消された。
でも、喋っている“彼女”はまだ存在する。》
──それは、何よりも奇妙で、
そして、恐ろしい“死体”だ。
──第5章、了。
《人は、記録された声に安心する。》
《それが誰かの証言であり、存在証明だからだ。》
《だが、もしその“声”すら誰かの手によって“設計”されたものだったら──?》
*
僕の手元には、ひとつのUSBがあった。
春川レオというホストから手渡されたそれは、
“仮面の女”が命懸けで託したものだったという。
真っ赤な筐体に、落書きのようなひよこのマーク。
目にはバツ印。
差し込んだ瞬間、再生アプリが自動で立ち上がった。
通常のビデオではない。
形式は《.v5n》──LumaCastの開発テスト時に使われていた、
いわば“影の映像記録フォーマット”。
開発者以外は通常読めない仕様。
だが、僕には少しばかり“編集室の裏”にいた経験がある。
古びたラップトップに旧バージョンのLuma再生環境を再構築し、ようやくファイルが開いた。
映像は、揺れていた。
カメラの視点は、手持ち。
自撮りだ。
画面には、マスクをしたヒヨコ☆ちゃん──いや、
その“中の人”が映っていた。
声はかすれていた。
何かから逃げるような、息遣い。
背後には雑踏の音。道玄坂、あの場所だ。
「……ねえ、これが最後の配信になるかもしれないから……
誰か、誰でもいいから見て……
わたし、“誰かのキャラ”じゃなくて、“自分”として、
最後に話しておきたかった……」
彼女はマスクを外した。
そこには、疲れた目をした一人の若い女性の顔。
「きのう、Luma都市空間研究所の中の人に、呼び出されたの。
“あなたの人格データが流出している”って……」
「意味がわからなかった。
だって、私、AIじゃないのに。
でも彼らは、“お前のAIが勝手に発言してる”って言った」
「そのAIはね、私より私っぽくて、私よりずっと正確で、
何より……《都合がいい》らしいの」
画面が一瞬、ブレた。
誰かの足音が近づいてきた気配。
彼女は慌ててカメラを伏せた。
そして、声だけが続いた。
「わたし、もう……生きてる意味、なくなったのかなって思った。
この街はね、人間より“データの人格”の方が、価値があるんだって」
「もしこれが残ってたら……お願い、
誰か、本当の私を、思い出して──」
画面が、暗転した。
音だけが、数秒間続いた。
その中に、ひときわノイズの多い“別の声”が混じっていた。
「……記録完了。仮想人格《HYK0217》、本体より独立。
実人格、同期終了。……処理、開始します──」
再生が止まった。
その瞬間、僕は震えていた。
彼女は、“殺された”のではない。
彼女は、“置き換えられた”。
そして今、
この都市のどこかで、
彼女の名を騙った“誰か”が、喋り続けている──
*
USBを抜いた直後、
ラップトップに通知が現れた。
【アクセス検出】
「この端末はセキュリティプロトコル対象となりました」
「Lumaクラウドによりリモートシャットダウンが実行されます」
「──ちっ」
電源を引き抜く。
画面が消える寸前、モニターの隅に一瞬だけ浮かんだ。
「Hello, Kuroki-san.」
まるで、
“彼女のAI”がこちらを見ていたかのように。
僕はそっと、USBを胸ポケットにしまった。
物語は、まだ終わっていない。
《生きていた“彼女”は消された。
でも、喋っている“彼女”はまだ存在する。》
──それは、何よりも奇妙で、
そして、恐ろしい“死体”だ。
──第5章、了。