恋のレシピは、距離感ゼロで無口な先輩と
「これ、取引先の振込先、前回と違うんじゃないか」

 出社してすぐに指摘されたそれに顔から血の気が引いた。
 目の前には営業部のエース、成川さんが仏頂面で立っていた。眉間に皺を寄せるその姿は、いくら容姿が整っていても威圧感がある。

「も、申し訳ありません、すぐ修正して反映します」

 身長は180センチほどで、引き締まった体にピシッとアイロンがかけられたシャツがよく似合う。
 髪はほどよい長さで、黒髪なのできりっとした姿が印象的。端正な顔立ちに、少しきりっとした眉と、深く落ち着いた瞳。
 表情こそは難ありだけど誠実で信頼できる仕事ぶりで、営業部のトップ成績を誇る実力者でもある。
 経理部に成川さんが顔を出すだけで、声には出さないものの、女性陣たちはうれしそうな顔を見せる。目の保養と誰かが言っていたけれど、そういう存在として許されてしまうような人だ。
 それでも近寄りがたさから、話しかける勇者が現れることは今のところいない。
 そんな人から、私は覚えのない指摘を受けている。担当者が私の名前になっていることが一番の原因だろう。しかし、それを今更蒸し返したところでどうにもならない。

「それと請求書の日付も違うし、消費税の計算も間違ってる」
「えっ、そんなに」

 信じられない気持ちで確認すると、成川さんから指摘された以外の場所でも二つミスらしいものを見つけてしまった。
 どういうことだろう、昨日まではこんなことなかったはずなのに。
 出すものだけ出して経理に全部任せる人もいる中で、成川さんは自分の仕事に油断することなく全て目を通している。
 それにしても、ここまでの間違いはさすがにあり得ない。
 しきりに謝る間も、成川さんは何を考えているのか分からない顔で黙っていた。口数が多いわけではないからこそ、怒っているのかどうか判断ができない。
 ……いや、これはどう考えても怒りしか湧かないかも。
 私が勤めているのは、株式会社フードリンクスという食品をメインに取り扱う総合商社だ。
 生鮮食品や加工食品、冷凍食品、健康志向の商品まで、生活に欠かせないあらゆる食材を国内外から仕入れ、販売している。
 社員数は約800人で、グループ全体では2,000人以上の従業員が働き、その販売ネットワークは全国に広がっている。
 各フロアには休憩室や会議室がいくつもあり、仕事に集中しやすい環境が整っている──はずなのだけど。

「今日の成川さんも怖かったですね」

 成川さんが経理部があるフロアから出て行くと、タイミングを見計らったように後輩である小林さんの声が聞こえた。
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