恋のレシピは、距離感ゼロで無口な先輩と
「俺も、似たようなこと考えてた」
「え?」
「橘の豚汁、特別だった」

 言葉の選び方があまりにまっすぐで、思わず手が止まった。

「……特別、ですか?」
「最初に食べたとき、なんでだかわからなかったけど、あの味がずっと残ってた」

 成川さんは箸を置いて、ゆっくりと言葉を継いだ。

「料理のうまさとかじゃなくて、……俺のために作られた味だったからだと思う」

 私の胸の奥に、じんと何かが染みてくる。
 いつもひとりで適当に済ませていたご飯を、誰かのために作って、その誰かが、こうしてちゃんと味わって覚えていてくれた。

「……そんなふうに言ってもらえると、また作りたくなっちゃいますね」
「じゃあ、よろしく頼む」

 成川さんはいつものトーンで、でもどこか嬉しそうに微笑んだ。
 あの日の豚汁がふたりにとってのはじまりだったことが、今になってよくわかる。

「こういう生活、毎日送れたらいいのにな」

 油断をしていたから、ぽつりと出てしまった。
 言ったあとにハッとして、口元に手を添えてごまかす。

「いや、これは深い意味はないと言いますか……すみません、ちょっと調子に乗りすぎました」

 恥ずかしくて俯いたけれど、成川さんは箸を置いて、静かにこちらを見ていた。
 その視線から逃げるように味噌汁をすする。

「俺も、そう思ってた」
「え?」

 顔を上げると、成川さんは穏やかな目でこちらを見ていた。
 まるで、それがずっと心の中にあった言葉だったみたいに、ためらいなく口にする。

「ご飯作って、一緒に食べて、何気ない話をして。そういう暮らしを誰かとって考えた」

 その先を聞くのが怖くて、あえて笑顔を保つようにした。

「いいですよね……! 誰かと過ごすっていうのも。私、ひとりは気楽でいいなって思ってたんですけど、成川さんのおかげでこういう生活も悪くないって。うん、悪くないですよ」

 だから、成川さんとの関係がここで終わってしまうとしても、明るく、ちゃんとさよならができるようにしないと。
 職場では会うかもしれないけれど、祝福できるだけの余裕がほしい。そういう未来を考えておかないといけない。

「成川さんも、誰かと過ごすってなったら私を家にあげてたらだめですよ」
「橘」
「あ、あれですね。私が今日は来ちゃったので成川さんは何も悪くなかったです。すみません、私の責任でした」
「橘」
「これからはいきなりお宅訪問しませんので、安心して誰かを──」
「結婚しよう」

 聞こえたその声に、え、と声が落ちた。
 聞き間違いなのかと思って、成川さんを見る。そういえば私、今の今まで、成川さんの顔をちゃんと見れていなかった。言葉を繋げることで精一杯で、それどころじゃなかった。
 成川さんはどんな顔で私を見ていたのだろう。私の話を聞いていたのだろう。

「結婚したい、橘と」
「結婚って……私、ですか? 私とですか?」
「誰がいるんだよ、ほかに」
「いや、だって……あ、まだ婚約者のフリとか続いていますか? あの人にまた何か言われましたか? それなら私、またお役に立てるように」
「橘と本気で結婚したいんだよ、俺は」

 どこまでも心の奥深くに響くような声だった。
 結婚。その言葉は私に向けられている。

「……いいんですか、私で」
「俺は橘がいい」
「だって、まだ好きとか、そういうのも言ってないじゃないですか。私、好きとか聞きたかったのに」
「好きだよ」
「順番が違うじゃないですか……」

 自然と涙が出る。ひとりでテンパって、怖くなってしまっていた。
 頬に流れる涙を、成川さんがそっと親指で拭ってくれる。
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