恋のレシピは、距離感ゼロで無口な先輩と
 緑があるといいらしいですよ、とどこの誰に聞いたのかわからない情報を自信満々に口にしながら、その手にはパキラが抱えられていた。
 事前に観葉植物を置いてもいいかという連絡はもらっていたし、断る理由もなかった。
 意外にもこの部屋によく馴染んだ。水やりは当番制にしたが、結局ふたりとも好んで水やりをするためか、当番という概念もいつしかなくなっていた。

「まだまだ増えそうだな」
「もちろんです。気になっている子たちがまだまだいて」

 どれだけ増えるのだろうかと、ふっと笑みがこぼれる。気が抜けるとはこのことなのだろうか。
 昔は、ひとりで生きていくつもりだった。
 家も、生活も、全部自分のものだけで完結する世界を、それが正しいと思っていた。
 けれど今は、彼女のものが一つ増えるたびに、家が少しずつふたりのものになっていく気がする。
 洗濯カゴに彼女の服があったり、冷蔵庫に入っている食材を見て、彼女の好きなメニューを思い浮かべるだけで。
 ああ、一緒に暮らしてるんだなって、実感する。

「そういえば、スーパー寄るの忘れた」

 思い出したように言えば、にこにこと観葉植物を見ていたその顔が固まる。

「そうでした……うわあ、あそこのショッピングモールでスパイスを見ようと思ったのに」
「使いこなせるのか」
「成川さんと一緒なら問題ないです!」

 自信満々に言うことか。ひとりで使うつもりがないのも彼女らしい。
 基本的に、何をするのも、ひとりからふたりに変わった。それを前提として彼女が話を進めてくれるから、俺もそれが慣れてしまった。
 慣れないのは──

「小春」

 名前を呼ぶと、さっきとは打って変わり顔が赤くなる。

「ふ、不意打ちは危険ですよ」
「何が」
「私の心臓が持たないといいますか、心臓が、持たないんです」
「なんで二回言ってんだ」
「だから、だめなんですよ」

 いじけたような顔を見せることが多くなり、それは心を許してもらっているからなのだと実感する。

「小春」
「だから──」
「おいで」

 手を広げれば、浮かべていた表情は一変して緩く力が抜けていく。

「勢いよくいきますからね」
「好きにどうぞ、受け止めるから」

 言い切った瞬間、小さな体が飛び込んできた。
 ふわっと香るシャンプーの匂いと、少し冷えた指先。
 しっかりりと抱きしめるとすっぽりと腕の中におさまってしまう。

「……ほんとに受け止めてくれましたね」
「言っただろ」

 当たり前みたいに言葉が出た。
 ぽん、と頭に手を置いて撫でる。
 彼女は子犬みたいにシャツの裾を握って、すがるように顔を埋めてくる。

「ああ、もうさらに沼るじゃないですか」
「沼るってなんだ」
「沼るは……沼るです。こう、ずぼっといってしまうような」
「擬音だけで理解できるほど、勉強足りないみたいだわ」
「成川さんが勉強することじゃないです……!」

 へえ、とつい面白くない声が出てしまう。

「成川さん、ね」
「あ、……その、今のは慣れが影響して」
「呼べなかったら、そのときはハンデがあったはずだけど」

 ゆっくりでいいとは思っていた。名前で呼び合う関係が全てではないことも。
 それでも、一度味わってしまったからには、何度でも彼女に呼んでもらいたいと欲が出てしまう。

「ほら」

 急かせば、小春は「そうでした」と白旗をあげては、俺の口元を見て、それからゆっくりと自分の唇を重ねた。
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