恋のレシピは、距離感ゼロで無口な先輩と
 営業部に顔を出し、経理部があるフロアに戻っていた。
 成川さんは外回りだったので、デスクに電話があったことメモだけ残して廊下を歩いていると──。

「何あれ」

 ごとっと何かが乱暴に捨てられる音が給湯室から聞こえ、思わず廊下で足を止めてしまった。
 この声は、経理部の先輩・七海さんだ。

「社長の姪だからってなんでも言っていいと思ってるところが腹立つわあ」
「私たちに若さをアピってるんでしょ」

 次に聞こえてきたのは野中さんで、七海さんと同期。
 七海さんと野中さんは経理部のベテランで、私よりもずっと経験が豊富だ。
 だからこそ、その二人にこうして陰でささやかれるのは正直、堪える。
 この二人の反応が怖くて私は愛想笑いしか浮かべることができなかった。

「橘さんも、指導係としてどうなんだろうね。ハッキリ言えなさすぎでしょ」
「最近は小林さんの仕事をカバーするどころか、もう自分でやっちゃってるらしいよ」
「やっぱり? 小林さんのミスが減ったと思ったわ」

 バレないと思っていたわけではないけど、それでも二人にはしっかりと見抜かれてしまっていた。
 最初こそは私なりに小林さんに理解してもらえるように伝え方を試行錯誤しながら教えてきたつもりだった。
 そのうち小林さんが「でも、こういうの苦手なんですよね」という発言を繰り返すようになり、そのうち体調不良で欠勤してしまうことが増えてしまった。社長から個別に呼び出されて「無理をさせ過ぎないでほしい」と指摘されてからは、変に意気込むこともできなくなった。
 結果的に私が小林さんの分として振り分けた仕事も自分でするようになり、小林さんが体調を崩すこともなくなったけど、今度は先輩たちからの反感を買ってしまった。

「あの子、社長の姪っ子ってだけで甘やかされてるよね」
「ほんと、それ。なんでうちの部署に配属されたのか意味不明」
「橘さんももう少し強気で指導すればいいのに」
「結局、面倒な仕事は全部自分で片付けちゃうから、あの子が成長しないんだよ」

 ──成長。何度も考えてきたことだった。
 私が自分で片付けてしまえるのは大変だけど楽ではあった。だけどこれでは小林さんが成長することはできない。
 小林さんのことを本当に思うなら、社長に指摘されても自分なりの意見をもう少し口にするだけの勇気が必要だったのに。
 結局、うやむやにしてしまったツケがここに回ってきてしまうのだ。
 28になり、あと数か月もすれば最後の20代を過ごすことになる。そうしてあっという間に30歳を迎えるのだろう。
 仕事ばかりを優先させてきたつもりはない。ただ、気付いたら入社してから6年が経とうとしている。
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