天才画家に描かれて、毎晩とろけそうです ―スイートルームで始まる、芸術と恋の独占契約
鉛筆の先が、紙をなぞっていく。

レオンの手元は驚くほど静かだった。
まるで呼吸を描いているみたいに、やわらかく、流れるように。

咲良は、じっと座っていた。
なにも話さず、なにも問わず。
ただ、描かれることを受け入れていた。

窓の外には、さっきまでの雨の名残が、空を灰色に染めていた。

沈黙が、満ちていた。

けれど、その沈黙の中で、レオンがぽつりと声を落とした。

「……描けなかったんだ」

鉛筆の動きは止まらない。

「君と別れてから。どんなに筆を持っても、
 どんなに色を並べても、『何か』が足りなかった」

咲良は目を閉じて、静かに耳を澄ませた。

「それが何かわからなかった。ただ、君の線を思い出すたびに、僕の線が、震えてしまった」

「……わたしも、変わったよ」

咲良が、そっと言った。

「鏡で自分を見るたび、思い出してた。レオンの『美しい』って言葉」

レオンの鉛筆が止まった。

ふたりは目を合わせる。
それだけで、心の奥がそっとなぞられたような気がした。

「……ねぇ、咲良」

「うん」

「このあと、少し歩こうか。
 行きたい場所があるんだ」

レオンの声は穏やかだった。
でもその瞳は、どこか覚悟に似た色をしていた。

咲良は、なにも言わずにうなずいた。

ふたりで過ごす再会の日の終わりに、
レオンはなにを見せようとしているのだろう。

それでも、咲良の足は、もう彼のとなりを歩く準備をしていた。
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