天才画家に描かれて、毎晩とろけそうです ―スイートルームで始まる、芸術と恋の独占契約
その日もまた、咲良はカフェのテラスで知らない男に話しかけられていた。

フランス語はわからない。
でも、好意のある視線や仕草は、言葉にしなくても伝わってくる。

咲良は「ノン」とだけ返して、丁寧に頭を下げて立ち去った。
誰かにどうこうされたいわけじゃない。
ただ、フランスという異国のなかで、目立ってしまう「自分」に慣れないだけだった。

アトリエに戻ると、レオンが珍しく不機嫌な顔をしていた。

「また話しかけられた?」

「うん。すぐ断ったよ。ちゃんと……」

「いつも断ってるって言うけど、
 君、ちっとも警戒しないじゃないか」

その言葉に、咲良は立ち止まった。

「……なにそれ」

「無防備すぎるんだよ。君がどう見られてるか、少しは意識してくれないと」

「……気をつけてるよ。私なりに」

「なら、なんで笑いかける?」

「笑った、って……そんなのただの愛想でしょ」

レオンは苛立ちを押し殺すように、天井を仰いだ。

「君が、他の男の前で笑うと、
 まるで、僕の描いた君じゃなくなるみたいで……わからなくなるんだよ」

その言葉は、レオンの弱さだった。

けれど、咲良にとっては刃だった。

「じゃあ……私って、『描いた通り』じゃなきゃいけないの?」

レオンは返せなかった。

咲良は静かに笑った。

でも、それはあのやわらかな笑みではなく、
どこか寂しさに濡れた表情だった。

「……私、そばにいるだけでいいって、思ってたんだよ」

「何かしてあげられなくても、役に立たなくても、
 あなたの横にいるだけで、十分だって」

レオンの表情が崩れる。

「でも……そうじゃなかったんだね」

咲良は、そっと背を向けた。

リビングに漂う香りも、夜風にそよぐカーテンの揺れも、
すべてがしんと冷えていった。
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