天才画家に描かれて、毎晩とろけそうです ―スイートルームで始まる、芸術と恋の独占契約
空港のロビーは、朝の光で白く霞んでいた。

咲良はスーツケースの取っ手を握ったまま、
出発ゲートの電光掲示板をぼんやりと見上げていた。

「Tokyo Haneda」
──その文字が、自分の居場所へとゆっくりと指し示していた。

レオンは隣にいた。
でも、ひと晩中眠れなかったのか、目の下にはうっすらと影が落ちていた。

ふたりとも、ほとんど言葉を交わさなかった。

しゃべったら、崩れてしまいそうだったから。
最後の時間まで、できるだけ静かに、大切にしたかった。



チェックインカウンターの表示が、「搭乗手続き中」に切り替わった。

その文字を見た瞬間、時間がひとつ、静かに区切られた気がした。

咲良は、ゆっくりと振り返る。

そこに立っていたレオンは、何も言わなかった。
ただ、いつものように──どこまでも深く、優しいまなざしで咲良を見ていた。

「……ありがとうね、レオン」

声にすると、思ったよりもかすれていた。
けれど、それでも彼には、ちゃんと届いている気がした。

「あなたといた時間……全部が、宝物だった」

ひとつひとつの言葉を置くように、咲良は言った。

「私、ほんとうに、幸せだったよ」

レオンは、やはり黙ったままだった。

けれどそのかわりに、そっと咲良の手を取った。
震える指先が、咲良の指を包み込む。
強すぎず、離れないように、ただ静かに。

まるで、記憶の上にそっと線を引くように。
もう二度と描けない絵を、心に焼きつけるように。

咲良も、そっと握り返した。

「……描かれて、見つめられて。
 あんなにまっすぐ、愛されたことなんて……なかったから」

その一言に、レオンのまなざしがわずかに揺れた。

きらり、と。
光を受けて滲む目尻を、咲良は見逃さなかった。

だけど、それ以上は何も言わなかった。

手を、ゆっくりと離す。
温度だけが、手のひらに残る。

「……またね」

その言葉に、レオンは、小さく──けれど確かに、うなずいた。

咲良は背を向けて歩き出す。
一歩ずつ、レオンのもとから遠ざかっていく。

振り返らなかった。振り返ったら、きっと、歩けなくなる。

ゲートの向こう、光の中へと、咲良の背が消えていく。

──金色の髪に、もう触れられない。
深く、心を射抜くような視線にも、包まれない。

けれど咲良の胸には、あの手のぬくもりが、永遠のように残っていた。
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