天才画家に描かれて、毎晩とろけそうです ―スイートルームで始まる、芸術と恋の独占契約
朝の代官山は、まだ人通りもまばらだった。

アトリエの窓から差し込む柔らかな光のなか、
レオンはキャンバスに向かっていた。

絵筆を握る手は、何度も止まり、何度もやり直された。

(咲良……)

彼女は今、隣の部屋にはいない。
けれど、レオンの中には確かに「いる」。

「僕は、もう二度と君から離れない。
 でも、今は……触れずに、ただ見つめることしかできない」

そう心に言い聞かせ、筆を進めた。



その頃、咲良は道場の裏手にある公園の周回路を走っていた。

地面を蹴る足。
呼吸のリズム。
額を流れる汗。
風の感触。

考えごとをする余裕がないほど、自分を追い込んでいた。

(走ってるあいだだけは、何も考えなくて済むから)

咲良は、自分の弱さを知っている。

だからこそ、体を鍛えることで、心の揺れをごまかしていた。

──そのときだった。

「おーい、咲良」

前方から声が飛んできた。

振り向くと、榊原隼人が立っていた。

ジャージ姿の彼は、いつも通りぶっきらぼうで、でも目元はやさしかった。

「頑張ってるな。朝から飛ばしすぎじゃないか?」

咲良は息を整えながら笑う。

「うん、まあ……いろいろあるから」

「そうか。……顔つき、変わったな」

「え?」

「前より、ちょっと強くなったってこと」

「……それ、褒めてる?」

「当然だろ」

榊原は短く笑って、肩を叩いて去っていった。

咲良は、彼の背中を見送りながら、汗でにじんだ視界を瞬かせた。



──そして、少し離れた場所。

通りの影から、その光景を見つめるひとりの姿があった。

レオンだった。

彼は声をかけることもせず、ただ黙ってそこに立っていた。

咲良の笑顔。
風に揺れる髪。
軽やかに交わされた言葉。

(……これでいい。いまは)

けれど、胸の奥で、確かに何かがざわついた。

ふたりの間には、まだ、ひとつだけ届いていない言葉がある。

それを伝えなければ、もう前へは進めない。

そう、レオンは静かに決意した。
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